厚生労働省の国民生活基礎調査によると、日本の相対的貧困率は2012年で16.1%となっている。OECD(経済協力開発機構)の最新統計でも、日本は16.0%で加盟国34カ国中ワースト6位である。日本では、6人に1人が年間122万円未満の低所得の暮らしを強いられており、経済格差にあえぐ貧困層は確実に増えている。今回、そんな貧困の現場をリポートする。
2015年12月、生活保護費の支給日――。多くの人々でごった返す東京・新宿区役所では、あまりの受給者の多さから2日間にわたって支給が行われている。受給者の1人から、話を聞くことができた。
「朝から並んで、お金を受け取れるのが夕方ですからね。しかも、たったの3万円。これじゃ、職探しの軍資金も捻出できませんよ」と憤るのは、森山貞夫さん(仮名・60歳)だ。
森山さんは、この10年間ホームレスと宿泊所暮らしを繰り返している。本来なら13万円あるはずの生活保護費が3万円しかないのは、無料低額宿泊所で暮らしているからだ。生活保護費から、住居費と食費がすでに引かれているわけだ。
無料低額宿泊所とは、主に生活保護受給者が無料もしくは低額で入所できる福祉施設のことである。ほとんどの場合、利用料(住居費)は生活保護における住宅扶助の最上限額に設定されている。しかし、ホームレスに生活保護を申請させ、劣悪な環境の宿泊所で囲い込み、さまざまな名目で“たけのこ剥ぎ”のように生活保護費をむしり取る貧困ビジネスの温床になっている、との批判もある。
森山さんが暮らす宿泊所は、JR高田馬場駅近くの、一見瀟洒な3階建ての集合住宅だ。6畳のワンルームには二段ベッドが3台並んでおり、全15室の小規模な建物に90人の生活保護受給者が暮らしている計算になる。
「もちろん、プライバシーなんてないし、いじめや暴力だってある。腕っぷしの強い人間が幅を利かせていて、ちょっと刑務所を思わせるような雰囲気ですね。食事は朝と夜の2食だけ。朝はパンで、夜はご飯とおかず。でも、付け合せの野菜はいつもしなびているし、レトルトや冷凍食品が多い。ご飯のお代わりは1回しかできない上、週に2日は冷えた弁当です。これで食費が4万5000円ですから、ぼったくりというしかありません。昼食は自腹なので、手元の3万円なんていくらも残らない。これは“無料”でも“低額”でもないですよね」(森山さん)
宿泊所で「就職しないのなら、出て行ってくれ」
森山さんは、かつてガス関連会社に勤務しており、比較的安定した職に就いていた。しかし、35歳の時に持病の腰痛が悪化して、会社を辞めざるを得なくなった。
「持病のせいで再就職がうまくいかなかったのですが、それでも当時はバブルの真っただ中だったので、日雇いのガードマンの仕事で十分に食っていけました。しかし、バブル崩壊後は日当も下がり、仕事自体も月に5日しかなくなってしまい、結局、食い詰めてホームレスになってしまったのです。『稼げるから』と安易に考えて、ちゃんと就職しなかったことを、今になって後悔しています」(同)
ホームレスになってからの森山さんは新宿中央公園や新宿駅を根城にし、空腹は福祉団体の炊き出しでしのいだ。そして、炊き出しで知り合ったケースワーカーの紹介で、品川区の無料低額宿泊所で暮らすことになった。
「そこでの待遇はそれほど悪くなかったけど、『就職しないのなら、出て行ってくれ』と言われました。でも、こっちだってなまけているわけじゃないし、持病があるので、そもそも仕事が見つからない。それでカッとなって、2年で退所して再びホームレスに戻りました」と森山さんは振り返る。
その後も、無料低額宿泊所を転々としながらホームレスをしていたが、3年前に栄養失調と過労によって地下鉄のトイレで倒れていたところを病院に担ぎ込まれ、退院後はそのまま現在の宿泊所で暮らしている。
「結局、生活保護を受給しても手元に3万円しか残らないのでは、再起なんてとてもじゃないけど無理。宿泊所を運営する業者を儲けさせるだけですよ。楽しみといえばテレビで時代劇を観ることぐらいで、前向きな気持ちなんて持てません。宿泊所で亡くなる高齢の入所者がいますが、私もここで一生を終えるのかな、と考え込んでしまいます」と嘆く森山さん。
希望のない宿泊所暮らしに、彼の苦悩は深い。
(文=編集部)