この草案は、現行憲法の改正という体裁をとっているが、実際には日本国憲法を換骨奪胎し、まったく別物に仕立て直そうとするものだ。自衛隊を「国防軍」にし、軍法会議を設置するなど軍としての体裁を整えようという9条の改変だけではない。憲法の基本的な性格を変える、もっと重大な改変が提案されている。
たとえば、憲法第99条に次のような条文がある。
<天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。>
憲法は、国民ではなく、天皇、大臣、国会議員、公務員らの言動を縛るものである、という大原則がここに書かれている。公務員らは、たとえ内閣総理大臣といえども、憲法に書かれている国民の人権を侵害したりしてはならない。天皇陛下が、憲法遵守の立場を明確にされているのも、この条文を常に意識されてのことだろう。
この規定について、「草案」はこう書く。
<全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う>
国民の側に、憲法尊重義務を課そうというのだ。これは、「臣民」の憲法への「永遠ニ從順ノ義務」を課していた明治憲法への逆戻りだという指摘もある。国を縛る憲法から、国民を縛る憲法へ。この変更は、憲法の基本的性格が変わるに等しい。
また、「すべて国民は個人として尊重される」(憲法第13条)という、やはり憲法の基本的原則を、「草案」は「全て国民は人として尊重される」に変える。さらに基本的人権は「公益及び公の秩序」に反する場合は制約されるとしている。「個人」と「人」では、一字違いだが、その意味するところは大きく異なる。それは、それぞれの反対語を考えてみれば分かりやすい。
「個人」の反対語は、「団体」や「全体」。「人」の反対語としては、「動物」や「物」などが挙げられる。「個人として尊重」を引っ込め、さらに「公益及び公の秩序」を優先するという「草案」には、明確に「個人」の人権より「公」を重んじる全体主義的な空気を感じる。さらに、「家族は、互いに助け合わなければならない」(「草案」第24条)など、国民の私生活に立ち入って、新たな義務を課すような条文も含まれている。
自民党は、今回の参院選用の政策集の最後に、小さい文字で「国民の合意の上に憲法改正」と書き、その中で「憲法改正においては、現行憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの基本原則は堅持します」としているが、少なくとも後の2つについては、自民党が用意している「草案」は、現行憲法とは本質的に異なるものだ。
このような「草案」を、後生大事にしている政党が、衆参両院ともに過半数を制し、憲法改正論議をリードすることには、いわゆる「護憲勢力」だけでなく、一般国民の間にも警戒心を持つ人が少なくないのではないか。