安倍晋三首相が地元・山口の温泉旅館「大谷山荘」にプーチン露大統領を招き、地元の食材を使った和食でもてなした、日露首脳会談。北方領土での共同経済活動を行うための特別な制度を設ける交渉を開始することで合意したが、北方領土返還についての進展はなかった。
「平和条約締結に向けての大きな一歩をしるした」との声もあるが、どうだろうか。ロシアの前身であるソビエト連邦との平和条項妥結に向けての交渉は、1956年から行われている。60年もたって「大きな一歩」といえるのか。
“ダレスの脅し”
北方領土問題をめぐっては、歯舞・色丹の2島返還か、国後・択捉を含めた4島返還かということが、たびたび議論になる。それを理解するためには、60年前まで遡らなければならない。日ソ共同宣言に向かうプロセスで、ソ連は歯舞・色丹は返してもいいという意思を示してきた。そこに割って入ったのが、アメリカだ。当時、ダレス米国務長官は重光葵外相に、ロンドンでの会談でこう言い渡した。
「日本が国後・択捉両島をソ連領として認めることはサンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになる。そのような場合、米国は条約第26条により沖縄を永久に保有する立場に立つ」
サンフランシスコ条約で、南千島の領有をソ連に認めたが、歯舞・色丹・国後・択捉は北海道の一部であるというのが、日米の見解だった。敗戦後、沖縄は米軍の施政下に置かれていた。歯舞・色丹2島返還で合意するなら、アメリカは沖縄を返さないというわけだ。
1956年10月19日、鳩山一郎、ブルガーニン両首相は、日ソ共同宣言に署名した。その第9条に歯舞・色丹の返還は書かれている。
「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」