未解決事件を丁寧に慎重に取材すればするほど、たどり着く答えというものがある。それは、未解決である理由は、陰謀でも、何かしらの圧力でも、捜査ミスなどでもないということ。そんなもので事件、特に殺人事件の犯人が逮捕を免れることなどない。これは断言してもいい。現在の日本において、そうした理由で捜査が打ち切られ、迷宮入りすることなどない。たとえ、絶大な権力者であったとしても、人を殺めれば法の裁きを受けることになるのだ。
では、なぜ未解決事件が生まれるのか? それは至極簡単である。決定打となる証拠がないのだ。確かにある程度の背後関係や状況証拠などから、捜査線上に浮上した容疑者を逮捕することは、そこまで困難なケースばかりではない。しかし、決定的な証拠もないままに起訴し、公判を維持することができるかといえば、実際にはできない。なぜならば、そこには冤罪を生み出してしまう可能性が出てくるからである。
疑わしきは罰せず……我が国における司法制度は有罪確定に対しては、慎重であり、厳格なのだ。逆にいえば、未解決事件において、決定的な証拠も持たいない人物が「あれは自分がやった犯行だ!」と自供してきて、容疑を有するからと逮捕に至ったとしても、裁判にかけられるかといえば、結局は検察は起訴に踏み切ることができない。99.8%ともいわれる刑事訴訟の有罪率の高さは、有罪を勝ち取る証拠がない事件以外は起訴しないという検察の姿勢の結果なのだ。
1995年3月30日に起きた國松孝次警察庁長官狙撃事件などは、その最たるケースといえるだろう。警察のトップが狙撃されるという前代未聞の事件であっただけに、警察サイドは威信をかけて解決しなければならなかった。だが結局、殺人未遂の公訴時効が15年から25年に延長される以前の出来事であったため、2010年に時効を迎え、事件は解決を見ないままに迷宮入りすることになってしまったのだ。
この事件でも、限りなく疑わしき人物は存在しており、なおかつその人物は自ら犯行を認める証言をしたにもかかわらず、裁判にかけることができなかった。その理由は、決め手がなかったのだ。いくら「あれはオレの犯行だ!」と言ったところで、捜査当局はそれを鵜呑みにはしない。その証言が真実なのかどうかを徹底的に洗い直すのである。そして、証言が、犯人しか知り得ない現場の状況やこれまでマスメディアにも漏らしていない情報などと結びつけば、それは法的用語でいう「秘密の暴露」にあたり、公判維持が可能と判断される。
今回、筆者が上梓した『迷宮 「三大未解決事件」と「三つの怪事件」』に収録されている足立区強盗殺人事件は、16年の時を経て、犯人が「人を殺した」と出頭し、迷宮入りしていた事件が一気に解決したケースだ。なぜ、この事件は迷宮入りしそうになってしまったのか。突如出頭した犯人の有罪を確定させた決定的証拠とは何だったのか。本書では、膨大な資料や取材をもとに、当局の動きや捜査の舞台裏などに迫っている。未解決事件が、解決するケースと迷宮入りするケースの分岐点をうかがい知ることができるだろう。
本書では、三大未解決事件といわれる世田谷一家殺人事件、八王子スーパーナンペイ事件、 柴又・女子大生放火殺人事件、さらに44人の死者を出した歌舞伎町雑居ビル火災についても詳細にレポートした。コールドケース(迷宮入り)といわれるこれらの事件には、冒頭で書いた通り、陰謀も圧力も捜査ミスもない中、「疑わしき者」が浮上しつつも、その者たちは「決め手」に欠けていた。そんな、点と点が結びつかなかった事件の裏にも、興味深い物語は確実に存在するのである。
さらに、もう一件。これまで一文字足りとも報じられてこなかった、ある未解決事件についても本書で初めて公開している。某業界の有名人も関係してくる、見る人がみれば驚愕する事件である。すでにある界隈では「あの事件が記事になっている!」と騒がれている。現状、弾ける(表面化する)見込みはない。だが、万が一弾けるようなことになれば、世間が大騒ぎになることは間違いないだろう。
『迷宮』はこれまで、発表された未解決事件の真相に迫った書籍、陳腐なジャーナリストやコメンテーターの推理や推測をすべて否定する。それを踏まえて手にとってもらえれば、丹念に取材し続けた甲斐があり、書き手冥利に尽きるといえるだろう。
(文=沖田臥竜/作家)