政府から独立した立場で日本の新型コロナウイルス感染症への対応を検証した「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(委員長は小林喜光・三菱ケミカル・ホールディングス会長)は10月8日、報告書を公表した。臨調を発足させた民間シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」(船橋洋一理事長)は、国内で感染者が初めて確認された今年1月から約半年間の政府の対応について、安倍晋三首相(当時)や菅義偉官房長官(現・首相)、西村康稔経済再生相、横倉義武日本医師会前会長のほか、内閣官房や厚生労働省、経済産業省などの官僚など計83人にのべ101回のヒアリングを行った。
報告書の結論は、「政府の対応は『場当たり的』だったが、結果的に、先進諸国のなかでは死亡率が低く経済の落ち込みも抑えられた」というものだが、確かに日本での死亡率は欧米諸国に比べて圧倒的に低かった。人口100万人当たりの死者数は、欧米では500~700人であり、全体の死者数が例年の2倍となってしまった国がいくつかあった。これに対し、日本は12人である。東アジア諸国の死亡率も軒並み低い。中国は3人強、韓国は8人弱、台湾にいたっては0.3人である。
山中伸弥京大教授が指摘した「ファクターX」はいまだ解明されていないが、東アジア諸国の死亡率が低い要因として現在有力なのは、(1)BCG仮説と(2)既存のコロナウイルスによる交差免疫仮説である。
BCG仮説は、BCGを実施している国は新型コロナウイルスの死亡率が低い傾向にあるとの相関関係に基づいている。BCGは本来結核予防のワクチンだが、結核だけではなく多くの病気に対する自然免疫機能を強化している可能性がある。交差免疫仮説は、既存の風邪ウイルスにかかった人のT細胞の免疫記憶が、新型コロナウイルスにも有効に作用したという研究成果に基づいている。東アジアでは未知のコロナウイルスの流行があったのに対し、欧米ではその流行がなかったと考えれば辻褄が合う。
これらに加え、最近唱えられるようになったのは、ネアンデルタール人の遺伝子仮説である。ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所とスウェーデンのカロリンスカ研究所が英科学誌「ネイチャー」(9月30日発売)に発表した論文によれば、人間の3番目の染色体から、ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子が6個見つかっており、その遺伝子を有する人が新型コロナウイルスに感染すると、人工呼吸器装着を必要とする重症に発展する可能性が3倍になるという。欧州ではこの遺伝子を持っている人の割合が約16%であるのに対し、東アジアではこの遺伝子を持っている人はほとんどいない。いずれにせよ、日本をはじめ東アジア諸国はラッキーだったわけである。
新型コロナ感染対策病床が不足
前述の報告書は、「新型インフルエンザ等対策特別措置法などを早急に見直し、罰則などの強制力を持った規定を設けることや公衆衛生のために経済的犠牲を強いられた企業などに一定の経済的補償をすべき」と提言しているが、これだけで十分なのであろうか。
「日本では全病床の2%弱しか新型コロナ感染対策病床として利用できなかった」
このように指摘するのは、『日本の医療の不都合な真実 コロナ禍で見えた「世界最高レベルの医療」の裏側』(幻冬舎)の著者、森田洋之氏である。現役の医師である森田氏は医療ジャーナリストとしても活動している。
日本の病床数は約160万であり、人口当たりの数はダントツで世界一であるが、そのうち新型コロナ感染対策として使用できた病床は、全国で3万1000床しかなかった。現行制度の下では、厚生労働省や地方自治体などが全国の医療機関に対し、緊急時に指揮・命令を行うことができないからである。
厚生労働省は、日本の医療機関の約7割を占める民間病院に対して、病院開設の許認可や診療報酬改定を通じて影響力を行使できるが、「病床をコロナ専門にせよ」と診療内容の変更を指示する権限がないのである。地方自治体は公立病院をコントロールできる権限を有しているが、実際には十分に活用されなかったようである。
このため欧米に比べ死者数が圧倒的に少ないのに、新型コロナの第1波襲来の際にコロナ感染対策病床が一時的に不足する都道府県が発生してしまった。「欧米のような感染爆発が起きていたら、全国各地で医療崩壊が起きていたのではないか」と思うと背筋が寒くなる。
「いざ」というときに機能しない日本の医療体制
252の国を対象に新型コロナウイルス感染症対策についての評価を行った香港のNPOは10月9日、最も安全な国としてドイツを選んだ。これまで9000人以上の死者を出しているドイツだが、「社会全体の新型コロナウイルスへの対応態勢が最もよく整備されている」と評価されたのである。
ドイツの人口当たりの病床数は日本の7割弱にすぎないが、ドイツの病院の65%が公立病院などである。病院の存在は「公」とみなされ、政府が指揮命令権限を保持していることから、数週間で一般の病床を新型コロナ専用の病床に切り替えることができたのである。具体的には、各市町村にひとつのクリニックをコロナ専門クリニックに指定するとともに、広域地域ごとにコロナ感染症専門病院を一つずつ配置した。これが功を奏して、死者数が日本の15倍になったのにもかかわらず、医療体制は常に余裕があったという。
ドイツをはじめ欧州の国々では、病院のほとんどを自治体が運営していることから、柔軟な運用が可能である。本当に必要なときに瞬時に体制が変えられる、「いざ鎌倉」の態勢ができているのである。
日本ではPCR検査体制の不備ばかりに注目が集まっているが、「いざ」というときに機能しない日本の医療体制全体にメスを入れない限り、次のパンデミックを乗り越えることができないのではないだろうか
(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)