6月28日の兵庫県尼崎市は、朝からあいにくの天気に見舞われていた。降り続くかと思われた梅雨の雨は正午前にはやんで陽が差し、それを待っていたかのように、任俠団体山口組の直参組長たちが尼崎に集結し始めたのである。
前回同様、今月も28日に定例会が開催されたのは、山口組中興の祖、田岡一雄三代目組長の生誕日が3月28日であるからともいわれる。今後も、任俠団体山口組では毎月28日に定例会が開催されるのだろう。そんな定例会の開催地となったのは、尼崎にある四代目真鍋組本部事務所だった。
当サイトの過去記事で、「次回の定例会は、結成式や初会合を開いてきた古川組本部での開催が困難になるのではないか」という旨を述べた。それは一部メディアが指摘するような、「指定暴力団の指定を避けるため」、つまり公安委員会が暴対法が定める指定団体に認定するには主だった活動事務所を特定する必要があるのだが、これをクリアさせないためという理由ではない。これまで古川組で会合を行ってきたことが、地域住民へ大きな影響を及ぼしたからではないかと予測していたためだ。地元関係者もこう語る。
「本来なら、今回も古川組本部で定例会を行いたかったのではないか。特に現在の古川組は、神戸山口組系の三代目古川組と、任俠団体山口組系の古川組(6月下旬に「三代目古川組」から改称)に分かれている。任俠団体山口組は、これまで通り古川組本部を使うことで、自分たちの古川組こそ正統な組織であることをアピールしたかったはず。ただ、結成式や初会合を行った際、近隣住民からの苦情がかなり当局に寄せられ、当局も過敏になっていたと聞く。そうした事情からも、古川組での定例会の開催は無理ではないかとみられていた」
任俠団体山口組に限らず、六代目山口組、神戸山口組共に、山口組関係者が次々と逮捕されているこの時期に、警察を刺激する動きは極力避けたいはずだ。そうしたなか、今回は組織の実質ナンバー2である池田幸治本部長が率いる四代目真鍋組本部が開催地に選ばれたと推測される。
この会合は午後2時過ぎから開かれたとみられ、同時刻に織田絆誠代表が四代目真鍋組へと入ったことが当局により確認されている。織田代表の懐刀といわれ、任俠団体山口組にあって実力者の呼び声高い山健連合会・金澤成樹会長は、それよりも1時間前には姿を見せていたようだ。
注目の内容だが、加入後初めての会合出席となる二代目植木会会長・植木亨本部長補佐が挨拶をしたとみられている。また、地元捜査関係者によれば、「もう一人、直参昇格者の紹介が行われたようだ。会合は40分ほどで終了したのではないか」という。さらにその後、同本部内で、ブロックごとの会合が開かれた模様で、織田代表が四代目真鍋組本部を後にしたのは午後5時前あたりとされている。
「会合では、織田代表が『反社(反社会的勢力)から脱却するよう新たにいきましょう』とする旨の発言をし、池田本部長からは『一致団結してがんばっていきましょう』といった言葉が出たようだ」と、地元捜査関係者は話している。
また、前日には尼崎市内の繁華街に池田本部長ら複数の幹部が姿を見せたといわれており、その存在感を地元に示したようだ。
京都における一連の山口組関係者の逮捕劇が現在も落ち着きを見せないなかで、“3つの山口組”の混沌状態がいつまで続くかは見えていない。
(文=沖田臥竜/作家)
●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。