4月30日、神戸山口組から割って出るかたちで任俠団体山口組が尼崎市で産声をあげて以来、尼崎市に本拠を置く古川組も、それぞれに組織の傘下へと袂を分けた【参考記事】。6月22日、その2つに割れた古川組に新たな動きがあったことが、関係者への取材でわかった。
まず、任俠団体山口組を上部団体とする三代目古川組は、組織名称を「古川組」と変更した。その理由については、関係者に出回った通知書(写真)で述べられているが、ここにはもともとは自分たちの組織の親分だった二代目古川組の古川恵一組長に対して、「雑誌等で嘘八百を並べ、初代古川組を冒涜し、自身の保身のみに走り、軽挙妄動を繰り返す」などと辛辣な言葉が並んでいる。これについて神戸山口組系幹部は、次のような見解を示している。
「同じ日に、(神戸山口組傘下の)二代目古川組が、三代目古川組に代替わりしている。正式発表については、次回の神戸山口組の定例会となる見込みだが、この話はすでに三代目古川組で組長代行にあった琉真会・仲村石松会長が任俠団体山口組を離脱し、古川恵一組長率いる二代目古川組に加入した際から予測されていたことだ。それを察して、任俠団体山口組系の三代目古川組がその名を名乗り続けると、古川組長が総裁となり、仲村会長に跡目を譲った神戸山口組系三代目古川組のほうに正当性があるように見える。それを嫌っての組織名変更ではないか」
こうした跡目継承をめぐる対立の構図は、六代目山口組派と神戸山口組派に分裂した会津小鉄会の一件と同様に映る。そういった意味でも、会津小鉄会同様の混乱を招かないために、組織名変更という対応を示したとも考えられる。ただ、これについてある法律家は、このように話す。
「現在、七代目会津小鉄会の一連の騒動で、山口組関係者の間にかなりの逮捕者が出ています。ことの発端となった、関係者へと流されたファクスを根拠として、有印私文書偽造容疑で六代目山口組の幹部らの逮捕まで踏み切ったのです。これを見る限り、今後2つの古川組が衝突して騒動が拡大した場合、今回の“御通知”と記された文面も、事件化の材料となるおそれがあるのではないでしょうか」
1月10日に京都の会津小鉄会本部で起きた傷害事件では、その原因となった七代目会津小鉄会・原田昇会長らが流したとされる、自らが跡目を継いだことを知らしめるファクスが京都府警の摘発の対象となっている。六代目会長名義で作成されたこのファクスは、実際は原田会長や六代目山口組幹部らが捏造したものと当局は判断し、私文書偽造に問うたのだ。
六代目山口組に移籍する動きも
今回は事情が異なるが、会津小鉄会事件のような大ごとが古川組の間でも起きれば、相手方を挑発し、両者の対立を激化させるようなこの“御通知”の存在を当局が拡大解釈して、なんらかの罪に問う可能性が出てくる。山口組壊滅に向けて動き出したとおぼしき今の当局は、摘発のネタになるのであればと、それくらいのことはしかねないというのが、この法律家の見立てだ。
古川組関連の動きはそれだけではない。六代目山口組系関係者が話すには、古川組が2つに割れた際、どちらにも参入しなかった、関東に本拠を置く下部組織が、六代目山口組の中核組織、三代目弘道会系列に加入したというのだ。
古川組が本部を置く関西とは事情が異なり、関東には今もなお「縄張り」というしきたりが受け継がれているといわれている。それは“3つの山口組”だけでなく、他団体にも存在するもので、そうした各組織の「縄張り意識」にどう折り合いをつけるかで組織活動のやりやすさが変わってくるというのだ。今回、六代目山口組傘下に移籍した組織も、現在、自身が抱える縄張りで活動していくためには、上部団体の関係性を踏まて、そうした選択を取る必要があったのかもしれない。
今はひっそりと静まり返っている兵庫県尼崎市。しかし、任俠団体山口組の発足は、ここ尼崎を根城としてきた古川組という有力団体にも、さまざまな影響をもたらしていることは間違いない。
(文=沖田臥竜/作家)
●沖田臥竜(おきた・がりょう)
2014年、アウトローだった自らの経験をもとに物書きとして活動を始め、『山口組分裂「六神抗」』365日の全内幕』(宝島社)などに寄稿。以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。