年の瀬に、またひとつやるせないニュースが報じられた。
大阪市港区にあるマンションの一室で、女性2人の遺体がみつかった。ここに住んでいた母親(68)と娘(42)とみられる。解剖の結果、死因は餓死。冷蔵庫のなかは空っぽで、財布には現金が13円しか残っていなかった、と報じられている。ガスや水道も止められていた。経済的に困窮し、社会的にも孤立して誰にも助けを求められないまま死に至ったと思われる。
母娘、兄弟、母息子……近年相次ぐ「困窮孤立死」
12月19日の毎日新聞電子版によれば、女性らは2020年8月から水道料金を滞納。10月中旬から水の使用量がゼロになり、大阪市水道局は11月中旬に給水を止めた。2人の遺体は、いずれも死後数カ月が経過しているというから、10月中には死亡していたのではないか。
このように、ライフラインが止められるほど困窮していながら、福祉とのつながりがなかったり、あるいはコミュニケーションが十分でない状況で死亡し、だいぶ経ってから遺体がみつかる、というケースは、他の地域でも起きている。
昨年12月には、東京都江東区の集合住宅で、72歳と66歳の兄弟の遺体がみつかった。異臭がすると通報があり、駆けつけた警察官が発見した。死後4~10日経っており、餓死とみられる。
弟は無職、兄も前年秋に体調を崩して仕事を辞めていた。いずれも無年金で、生活保護も受けていなかった。部屋にはわずかな小銭しか残っておらず、電気とガスは死の2カ月以上前から止められていた。水道も料金滞納で、止められる寸前。都水道局は、兄弟の部屋を繰り返し訪問していた。しかし、江東区に状況が伝えられることはなかった。
今年2月には、大阪府八尾市の集合住宅で、無職の母親(57)と長男(24)の遺体がみつかった。母親は死後1カ月以上、長男は10日ほどが経過していた。母親がなんらかの事情で死亡した後、長男が餓死したらしい。母親が生活保護を受給していたが、1月分の支給日には市役所に姿を見せず、連絡もとれなかったことから、市は遺体発見の4日前、生活保護の廃止を決めていた。水道やガスは料金滞納で止められていた。市水道局の業務委託先の従業員が複数回、自宅を訪問したが、応答がなかったという。
水は、人間の生存に不可欠で、ライフラインのなかでも命に直結することから、料金を滞納したからといってすぐに止められることはない。水ジャーナリストの橋本淳司さんによれば、停止に至るには通常、次のようなプロセスをたどる。
1 督促状が届く(目安:納付期限から2週間~20日間後)
2 催告状(勧告状)が届く(目安:納付期限から1カ月後)
3 給水停止予告書(給水停止執行通知書)が届く(目安:納付期限から約2カ月後)
4 給水停止(給水停止予告書に記載されている最終納付期限から数日以内)
水道料金が払えないほど困窮している場合は、水道局に相談すれば、低所得者向けの減免措置申請を行ってもらえる可能性がある。また、東京都などでは、給水停止予告書に「生活にお困りの方については、区の福祉事務所で生活保護などのご相談をお受けしております」などと、福祉窓口への相談を促す文言を付記している。
問題は、社会的に孤立し、みずから相談や申請に赴けない人たちのケースだ。
菅義偉首相が呼びかけるべきは、「公助の仕組みはあるから、SOSを出して」ということではないか
そうしたケースを見越した仕組みがないわけではない。
2012年1月、札幌市のアパートで、40代の姉妹の遺体がみつかる「事件」があった。料金滞納のためガスや電気は止められており、姉が病死した後、知的障害のある妹が凍死したとみられた。この件を機に、厚生労働省は全国の自治体に対し、ライフライン事業者との連携を求める通知を送った。とりわけ水が止まる事態は、経済的困窮が一定期間続いているという証しだ。その情報を福祉につなげようという発想だった。
しかし、これが十分に機能しているとはいいがたい。2月6日のNHK『ニュースウオッチ9』によれば、水道料金の滞納が長期間続き、給水停止の対象となるのは、東京23区で年間5万世帯に上る。一方、生活困窮者に関する情報提供は、5年間でわずか8件にとどまる。先の江東区のケースでも、区と都水道局の間には協定があったが、通報はなされなかった。
厚労省が8年前に出した通知は、形骸化しているといわざるを得ない。
今回の母娘の事件の大阪市も、異変があれば通報するようライフライン事業者と協定を結んでいた。今回遺体がみつかった母娘の水道料金滞納は8月から始まる。市水道局の委託業者は、10~12月に4回にわたって自宅を訪問した。しかし、市の福祉部門に通報はされていなかった、という。
先の毎日新聞記事によれば、市水道局の担当者は、「転居したという思い込みがあった。協定は結んでいるが、無断で転居する事例は多く、すべて通報するのは難しい」と弁明している。
ただ、もう少し早い段階で訪問がなされていれば、水の使用は続いており、住んでいることが確認されたかもしれない。
たとえば催告状を送っても反応がない場合は、その段階で自宅を訪問し、住んでいることが確認できたら自治体に通報することをルール化するなど、仕組みを考え直してみたらどうだろうか。支払いが可能なのに忘れている場合なら、多くは督促状の段階で支払うはずだ。
支援が必要な人の発見と見守りについては、各地域でさまざまな取り組みがなされている。ただ、少子高齢化に加えて今のコロナ禍では、仕事を失う人が増え、人と人との関わりの機会も減っている。経済的に困窮し、社会的にも孤立している人が増えても、支援につなげるのはますます難しくなっているといえるだろう。一方で、自治体も人的・財政的な余裕がない。自治体の負担を増やすだけの対策では、なかなかうまくいかない、というのは容易に予想がつく。
今回の母娘のようなケースは、これから増えていく可能性がある。誰が貧困に陥ってもおかしくない今、多くの人にとって他人事ではないと思う。今回のケースを含め、経済的困窮と社会的孤立が起こした悲劇を検証し、現実的で持続可能性のある仕組みを考える必要があるのではないか。
菅義偉首相は、みずからが目指す社会像として「自助、共助、公助」を挙げ、「自分でできることは、まず自分でやってみる。そして家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする」とくり返し述べている。
しかし、生活に困窮していても、外に向かってSOSを発信できないほど社会的に孤立した人たちに対して「自助」や「共助」を求めても、なんの意味もないだろう。それどころか、「まずは自分で」を強調することで、ますます助けを求められず、力尽きてしまう人が増えることが案じられる。
ほかにも、老老介護、認知症や寝たきりのために同居している家族の死を周囲に伝えられずに遺体が放置される「同居孤独死」、あるいは子どもが家族の介護を担っている「ヤングケアラー」など、社会的に孤立し、問題を家庭内で抱え込んでいる人たちの問題は山のように積み上がっている。
そういう状況下の政治的リーダーがやるべきは、個々人の「自助」を求めるより、「公助の仕組みはあるから、つらかったらSOSを出してほしい」と広く呼びかけることだ。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)