中国の大河ドラマ『大秦賦』(制作:陝西テレビ、国風影業投資)の問題点はなんなのか――。共同通信は18日、北京発で記事『中国、始皇帝ドラマが物議 「暴君礼賛」に懸念の声』を配信した。ドラマは秦帝国の勃興と歴代の秦王、始皇帝らの治世を描いた作品。共同通信の記事では触れられていないが、日本国内の華僑からは「『暴君礼賛』が問題なのではなく、何らかの思惑で原作者を無視した作品になりつつあることが問題なのだ」との声も聞かれる。
共同通信の記事を以下、引用する。
「中国で秦の始皇帝を扱った国営中央テレビのドラマ『大秦賦』が物議を醸している。始皇帝は初の中国統一を成し遂げたが、激しい言論弾圧を行い圧政を敷いたとされる。会員制交流サイト(SNS)には『暴君の礼賛』『歴史の美化』との声も。習近平指導部による集権を正当化する狙いではないかと懸念する人もいる」
文化大革命時に礼賛された始皇帝
一方、ドラマを視聴している全日本台湾連合会関係者は近現代の中国史を踏まえ次のように解説する。
「より正確に言えば、作品の内容が『暴君礼賛』なこと自体が問題ではないのです。中国の歴史上の皇帝や王には、いろいろな側面があります。一般的に悪役とされている三国時代の曹孟徳(曹操)ですら、政治家・文化人として評価する見方もあり、そういう作品も中国内にあります。日本でも織田信長はいろいろな意味で賛否両論ある人物ですが、ヒーローの側面を強調して描くこともあるでしょう。それと同じです。
今回の『大秦賦』が物議を醸しているのは、まずドラマの脚色が原作からかけ離れ始めている点です。加えて、そういう脚色がなぜされているのか、その理由がはっきりしないため、政府からの介入や、制作側の政府への忖度があったのではないかとの疑惑が噴出しているのです。
こうした疑惑が噴出する背景に、中国共産党が1970年代の文化大革命時に、本作の主人公である秦王政(後の始皇帝)を『反革命的な儒者を一掃した英雄』として、党を挙げて持ち上げた事実があります。始皇帝は自身の統治に批判的だった儒者を弾圧したことで知られています。
文革時の中国共産党は、始皇帝の法家思想(法による中央集権制度)を礼賛する一方、孔子や儒教思想家を『奴隷主貴族階級』と名付けて糾弾しました。
始皇帝の焚書坑儒(書を燃やし、儒者を生き埋めにする)も肯定し、紅衛兵運動時の知識人迫害を煽る要因の1つにもなりました。だから、始皇帝は当時のことを思い出す存在として、国民にとってはセンシティブな人物なのです。
一般的に中国本土のテレビドラマは制作側の忖度を含めて、当局の意図が少なからず反映されます。国民が恐れているのは、この作品の後ろに見え隠れする『文化大革命の影』なのだと思います」
原作小説の著者がドラマの演出・脚本に対し異例の批判
『大秦賦』は、4部構成からなる孫皓暉氏の原作小説『大秦帝国』を各部ごとに映像化したものの4作品目(完結編)だ。孫氏は当初、ドラマ版の脚本も担当していたという。
一連の話題を、大手インターネット動画配信企業社員は次のように見る。
「孫氏は原作との乖離が著しいとの理由で、第4部の『大秦賦』に原著名の『大秦帝国』の題名を使うことを拒否しました。まず、中国国内ではこれが話題になりました。
原作小説では、歴代の王に関するネガティブな描写もあったのですが、映像作品では第2部くらいから『そうしたニュアンスがなくなった』とインターネット上で盛んに指摘されていました。
また原作は重厚な戦闘描写や、武将や官僚、後宮の姫や宦官たちの思惑などが、古典的なストーリーに沿って細やかかつ荘厳に描かれているのですが、ドラマ版は若干オリジナルの脚色が強く、陰謀臭が強いというか、血なまぐさいというか……。それによって中国国内の視聴者で賛否が分かれているようです。
暴君礼賛とか政府の意図とかはわかりかねますが、視聴者の好みもあるとは思います。ちなみに中国のSNSサービス『豆瓣』(Douban)での評価は、4部作のうち『大秦賦』は10点満点中5~6点台を推移しています。前作の3作品が8~9点台をマークしていることを考慮すると、高い評価を得ているとは言えないでしょう。当局が介入した結果、そういう作品になったのか、それとも制作側と原作者の間の不和が原因なのかまでは私は把握していません」
“China”の語源は“秦”からきているという説もある。中国が自らのルーツともいえる歴史上の国家と皇帝をどのように描くのか。中国国民だけではなく、世界中が注目をしている。
(文=菅谷仁/編集部)