その公約で本当に日本はよくなるのか?「改革」という名のマジックワードに惑わされてはいけない!
過去の「改革」で本当に問題は解消したのか
悪いほうに向いた変化は「改革」とは呼ばない。そのため、「◯◯改革」は無条件で、事態を望ましい方向に変えていく「良いもの」ということになる。すなわち、「改革」がつけられることで、その政策はなんとなく前向きで「良いもの」のようなイメージが付与する。ともすれば、具体的な中身について、聞き手の深い考察や吟味を妨げる、印象操作のためのマジックワードになりうる。
もちろん、今ある問題は解決しなければならないし、制度や組織などの仕組みそのものを変えていくことで、社会をより良いものにしていく不断の努力は必要だ。その意味での改革を否定するものではない。
けれども、仕組みの成り立ちや歴史、人々との関わりを無視した大胆な改革は、無視できないほどの副作用を生じたり、これまで築いたものを破壊したり、社会を混乱させたり、人が大きな被害を被ることもある。
たとえば、「郵政改革」はどうか。郵政事業が民営化されてから、今月10日で10年が経過した。市場の縮小や人手不足で郵便事業は苦戦。買収した海外物流子会社の業績不審もあり、今年の決算では郵政事業初の赤字に転落した。郵便料金値上げはしても、成長戦略描けていない、とさまざまなメディアの論者が評している。
「司法制度改革」のなかでも、とりわけ「法曹養成改革」はかなり悲惨なことになっている。グローバル化や知的財産分野の拡大、企業のコンプライアンス重視などに伴い、法律家の需要が大幅に拡大すると見積もり、それまで年間500人程度だった司法試験合格者を3000人に増やす目標を設定。法曹の量的拡大と質的充実、多様化を理念に掲げ、2004年に法科大学院を開設した。
それから十余年。ピーク時には74校あった法科大学院だが、来年学生を募集するのは39校となり、半分近くに減った。入学志望者は5分の1以下に減少。社会人や理系出身者の割合も減って、多様化もうまくいっていない。法科大学院に行かずに司法試験を受けられる予備試験の出願者が年々増え、今年の司法試験合格者のうち、約2割が予備試験組だった。優秀な学生は、今後ますます法科大学院を避けて、予備試験に流れていくことも予想される。法科大学院を中心にした法曹養成の骨格が大いにゆらいでいる。
この「改革」に翻弄された人は少なくない。そもそも法律家の需要が大幅に増えるという前提が誤っていたのだが、制度設計に関わった誰かが責任をとった、という話は聞いたことがない。誰も何の責任を取らないまま、司法試験合格者3,000人の目標は撤回され、「改革」によって生じたさまざまな問題に対応するために「改革」は続けられる。
あるいは、「政治改革」はどうだろうか。
政権交代可能な二大政党制を目指し、小選挙区を導入した政治改革法案が成立したのは1995年12月。一度だけ民主党政権ができたが、その後同党は支持を急落させ、党名を変更した揚げ句に、今回の選挙前に分裂。見るも無惨な状況としか言いようがない。小選挙区制は死票が多く、有権者の民意が必ずしも結果に反映しない。いったん風が吹けば、なんら実績のない新人候補が、その人格や姿勢を十分吟味されることなく当選してしまい、大量の「チルドレン」が発生。政治の質の劣化の要因になっていると指摘されている。
さらに、1票の格差はなかなか解消しない。たとえば参議院では、その原因になっている県単位の選挙区制度について最高裁判決が改善を求めているが、いくつかの合区が決まっただけだ。
政治改革を旗印に細川内閣が成立してから、すでに24年以上経つ。この間、ずっと「改革」を続けて、果たして本当に日本の政治はよくなっているだろうか。