1963年11月22日、米国のジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスでのパレード中に狙撃され、死亡した。ケネディ暗殺事件である。今年10月26日には事件をめぐる機密文書の一部が米国立公文書館のウェブサイトで公開され、話題となった。
米政府の調査委員会(ウォーレン委員会)は1964年9月にまとめた報告書で、リー・ハーヴィー・オズワルドによる単独犯行と断定した。しかし証拠は乏しいうえ、報告書の内容は論理的に筋の通らない点も多く、別に黒幕がいるとの陰謀論が今も絶えない。
陰謀論と聞くと、それだけで冷笑する人が少なくない。たしかに陰謀論には荒唐無稽なものもある。けれども、すべてを頭から妄想や作り話と決めつけるのも理性的な態度とはいえない。のちほど詳しく述べるように、ケネディ研究を専門とする大学教授でさえ、公共放送の番組を通じ、陰謀の存在を明言しているのである。
まずは事件の経緯と謎をざっとおさらいしておこう。
ケネディが狙撃されたのは、ダラスのエルム通りにある教科書倉庫ビルの前を通過したときである。現場から病院に搬送されたが、到着後20分で死亡が確認された。すぐに元海兵隊員で教科書倉庫の従業員、オズワルドが容疑者として逮捕された。共産主義の信奉者とされ、ソ連に亡命した経験があることなどから容疑が固まった。
しかしオズワルドは逮捕後、犯行を全面否定する。教科書倉庫で発見されたライフル銃を持つ写真が妻の滞在先から見つかったが、偽造写真だと主張。「俺は囮(おとり)だ」と言い続けた。銃を使った際に手や頬から検出されるはずの硝煙反応もなかった。
そもそも共産主義を信奉しながら海兵隊に入ったというのも不自然だ。当時は米ソの対立が激化し、朝鮮戦争で共産主義陣営の北朝鮮が多数の犠牲者を出したばかり。海兵隊に入れば、朝鮮半島やラオス、ベトナム、欧州など当時緊張が高まっていた地域で再び戦争が起こった場合、戦場に送られ、自分が共感する共産主義国と戦わなければならなくなる。逮捕2日後、オズワルドは本格的な取り調べを受けるため移動中、警察署の地下でジャック・ルビーという男に射殺される。