2019年12月頃に中国・湖北省武漢を中心に流行が始まり、20年には世界中に感染が拡大した新型コロナウイルス。人類史上に残る未曽有の事態を引き起こしているが、もっとも影響の大きい観光業界、とりわけ航空業界の経営は惨憺たる状況である。すでに多くのエアライン(航空会社)が廃業を余儀なくされ、今後は生き残りをかけた会社同士の合併や統廃合のシナリオが加速するであろう。
ここ数年のメインプレイヤーだったLCC(格安航空会社)は、コロナ禍でもっとも打撃を受け、業界の牽引役から身を引くタイミングとなってしまった。業界団体、国際航空運送協会(IATA)のリポートでは、コロナによる旅客収入減少は34兆円、昨年比はマイナス55%であるという。このままでは、政府機関からの支援がなければ多くのエアラインは破綻し、昔のように、一国一エアライン、ナショナルフラッグキャリアのみの時代に戻ってしまうかもしれない。
まさにアフターコロナの経営を想像するだけで、エアライン関係者は戦々恐々。「破綻」の2文字が常に頭を過る、航空会社史上もっとも試練の時期が続くであろう。
そして、事態を予見したかのように、韓国では昨年大韓航空とアシアナ航空の結合が決まった。産業地図が激変するなか、日本でも日本航空(JAL)とANAホールディングスの合併がまことしやかに囁かれている。そして、この航空業界の再編シナリオがドミノ倒しのように次々と世界に拡散されていくのは必至である。
LCC化する機内サービス
航空業界に限ったことではないが、複数の企業が合併した際には社員のリストラが行われるのが通例である。それだけにとどまらず、企業はありとあらゆる方法で経費削減を目標とする。航空業界の場合、路線の縮小、教育訓練の合理化、付帯設備のIT化、サービスの合理化などが進むことが予測される。航空会社のなかには、コロナ対策に名を借りた経費削減=サービスカットを実施できることを歓迎する向きさえ感じられる。
だが、少なくともコロナ禍が続いている間は、高度経済成長期の頃のように「飛行機に乗れるだけで幸せ」と感じる人が多くなり、顧客が今まで享受してきた「至れり尽くせりの五つ星サービス」ではなくても、不満を抱く人は少ないのかもしれない。
コロナ禍前には、客室乗務員(CA)が安全の次に重視していたのは「接遇」。いかにアプローチャブル(親しみやすい)で、乗客が気に入るサービスを提供できるかが追求されてきたのである。物品授受は丁寧に両手で、クレーム対応の際には乗客の隣に近づいてしゃがみこみ、深々と陳謝する。そしてCAの専売特許の上品な笑顔は「口角を上げて心を込めて」と指導されていた。
ところが、コロナ禍以降状況は一変。これまでの常識を覆すようなサービス内容に変転している。物品授受の際には手袋をしてさらにトングを用いる。クレーム対応は「お客様、ソーシャルディスタンスをお守りください」と一言伝えれば、概ね解決する。笑顔も、マスクで隠された状態で口角を上げる必要もなく、目だけのつくり笑いでも事足りる。
「接遇」とはかけ離れた業務を日々こなしていくCAのフライト生活は、さぞかし無味乾燥なものになるだろう。悲しいかな、これもコロナ禍がもたらした航空サービスの変容なのである。
ニューノーマルが根付く
コロナで人々の生活は一変したが、エアラインも大きなターニングポイントを迎えている。予約、チケット購入、チェックイン、というプレフライトの一連の流れもすべてIT化。自動チェックインカウンターに多くのグランドスタッフを配置することはなくなるのだろう。さらに、AI(人工知能)の進出もいっそう進み、パイロットや整備士以外のさまざまな領域に導入されていくと思われる。
これまでLCCが行ってきたような事前オンライン注文という食事のサービス形態は、今後フルサービスエアラインも模倣することになる。接触を少なくするためにオンラインを駆使することが社会的な要請とされている現状を反映した施策が、打ち出されていくのだろう。その結果として、必然的にヒューマンリソースが余剰となり、人員整理が強力に推し進められていくと予測される。
はたしてアフターコロナは吉と出るか凶と出るか
今年2月に入ってから、世間では新型コロナウイルスのワクチン接種のニュースで持ち切りだ。航空業界を含む世界の観光業とその従事者たちも、この「ワクチン」というゲームチェンジャーを藁にもすがる思いで見ている。
欧米、イスラエルなどから始まったワクチン接種は日本でも始まり、その供給量や副反応など、さまざまな問題が取りざたされている。国内のワクチン供給事情は科学的な規制のほか、官僚主義的な制約も絡み、まさに自転車操業。政府や自治体からは楽観的な理想論が繰り返しアナウンスされているが、計画通りに進捗することなど絵に描いた餅ではないかと思われる。こんなドタバタ劇のなか、はたしてコロナ収束はシナリオ通りにいくのだろうか。
某エアラインのトップは、コロナのつけを取り戻し黒字決算まで回復するには4~5年の年月が必要だと予測している。交通関連業のなかでももっとも甚大な被害に遭ったのはエアラインだという現実を、直視する必要があるのだろう。
公共交通機関の一翼を担う航空業界は、自社の利益を度外視してでもコロナ対策を徹底する社会的な責務がある。そのため、ワクチン接種による世界的な集団免疫の獲得が達せられない限り、旅行需要の回復は見込めず、航空業界の再浮上を見込むこともできない。だが、感染状況が落ち着くと共に社会の混乱が沈静化すれば、オセロ返しのようにリカバリーできる可能性は十分あると思う。
ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル博士(1980-)は、アフターコロナ時代は「New enlightenment(新しい啓蒙)」の時代と説いている。病から立ち直るためにもっとも重要なことは、世の中の理不尽さに勝るものは国家権力ではなく、国民の自主的な「倫理と文化」で立ち向かうことであるという。筆者も同感である。
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会前会長の森喜朗氏の問題発言や、その後任の会長選出の茶番劇を見るにつけ、この国に倫理と文化がどこまで根付いているのか甚だ疑問である。だが、曲がりなりにも民主主義国家として歩んできた日本。今後の行く末も国民一人ひとりの自覚に委ねられているのは間違いないだろう。
どのようにコロナ禍の混乱が沈静化し、社会が落ち着きを取り戻していくのか。現状を見る限り予測は困難である。だが、航空業界はいつか必ず復活すると信じている。そして、トンネルを抜けた先に、「お客様を快適に目的地にお届けする」という責務を担う、誇り高きエアラインスタッフの出番がもう一度やってくることを願わずにはいられない。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)