関東連合(現在は解散)の名を世に知らしめた事件といえば、2010年に起きた「市川海老蔵暴行事件」ではないだろうか。西麻布のバーで、元関東連合リーダー・石元太一受刑者と海老蔵がトラブルとなり、石元の後輩だった伊藤リオン氏が海老蔵に大ケガを負わせたというものだ。
石元受刑者はその後、2012年9月に起きた六本木クラブ襲撃事件(六本木のクラブ「フラワー」に金属バットで武装した関東連合のメンバーらが乗り込み、店内で飲酒中の男性に対して、暴行を加え殺害した事件)の指揮役として逮捕・起訴され、懲役15年の有罪判決が確定している。
一方、海老蔵暴行事件で逮捕・起訴されたリオン氏は、1年4カ月の実刑判決を受け、服役することになる。だが、関係者らの話によると、リオン氏のこの服役はヤクザでいうところの“組ごと”、つまり関東連合のために身体を賭けたと組織内では賞賛され、業界内でも勇名を馳せることになったという。
「関東連合が有名になったのは、こういった事件もそうですが、個々が持つ人脈。それによってもたらされた経済力でしょう。リオン氏は先輩のために身体を張り、服役することになった。そのために出所してきたリオン氏には、シノギが用意されていたといいます。そのシノギで成功したリオン氏は、都内で飲食店を経営するなど、着実に経済力をつけていったようです」(関東連合事情に詳しいジャーナリスト)
筆者の後輩にも、元関東連合のメンバーとの付き合いがあった者がおり、この後輩が上京した際などには、リオン氏が空港までヘリコプターで迎えにきたこともあったと聞かされた。その際、後輩が「すごいですね」と驚き混じりで口にすると、リオン氏は軽い口調で「ノリですよ」と笑っていたという。
また、その時期、リオン氏はセカンドハウスとして都内にマンションを借りようとしていたようで、物件の資料を筆者も後輩伝いに目にしたが、敷金礼金だけを見ても、そこらの金持ちが気軽に借りれるようなマンションではなかった。
その後、リオン氏が業界関係者の間で話題となったのは、2014年。仙台市に本拠を置く六代目山口組大同会系傘下団体から破門されたことではないだろうか。その破門状はインターネットでも拡散され、市川海老蔵暴行事件の加害者が、ヤクザ組織に在籍していたことが知れ渡ったのである。
本来であれば、ヤクザ社会から処分されれば、その人物は市井の人となり、力を落としていく。だが、強力な人脈と財力を築いていたリオン氏は、その力を落とすことはなかったようだ。
沖縄の地元ヤクザとの乱闘騒ぎで逮捕者も
そして昨年、ある動画がYouTubeで配信、拡散され、またしても話題となるのである。その動画とは、リオン氏らが沖縄県で地元の不良たちとトラブルになり、乱闘騒ぎになっている映像であった。
「その頃には、俗な言い方をすれば、グレーなビジネスで財を成した元関東連合の関係者らは、都内で派手に飲み歩くとサツ(警察)に目をつけられるということなどの理由から、ススキノ(札幌)や沖縄にまで行き派手に遊んでいたと耳にしたことがある。現にススキノでは、関東方面からやってきている若者がなぜそんな大金を持っているのかと訝しみ、サツが内偵を入れ始めたなんて話もあった」(沖縄事情に詳しい関係者)
そうした中で、沖縄では、リオン氏と地元勢との間で摩擦が生じ始めていったのではないかとこの関係者は話している。
そして、5月30日。沖縄県最大の繁華街、那覇市松山で双方に逮捕者まで出す乱闘事件が起きてしまったのだ。
この事件では、クラブで呑んでいたリオン氏グループと地元組織の組員らがトラブルとなり、金属バットやスタンガンで相手を攻撃、最後には大勢の警察官が駆けつける中で、組員のひとりが牛刀まで抜く乱闘に発展し、繁華街は一時騒然とすることとなった。
「地元組織の関係者からすると、これまでのリオン氏らの態度が目に余るものがあったのではないか。乱闘の際には、リオン氏サイドには、別組織の組員もいたことから、大きな騒動になるのではないかと危惧された。それに、リオン氏自体が関東の武闘派組織に在籍しているなんて話もあった。現にその組織が事件の翌日に沖縄に飛んだという噂も出た。ただ聞くところでは、それはリオンが在籍していたからではなく、あくまで個人的な関係で彼の身を案じて、関東の組織の人間が動いたらしい」(他団体の幹部)
この事件では、地元組織である旭琉會系組員らが逮捕され、牛刀を出して応戦したとして、リオン氏側からは別の武闘派組織の組員が逮捕されている。ただ、関係者の話によれば、上層部による話し合いはすでに終わっており、組同士の抗争などに発展することはないはずだという。
関係する組織名がどこも超がつくほどの武闘派だっただけに、一時は関係者の間で緊張が走った今回の騒動。どれだけヤクザに対する厳罰化が進んだとしても、血気盛んな組員たちの衝動を止めることは難しく、こうした乱闘事件は今後もいつ起きてもおかしくはないといえるだろう。
(文=沖田臥竜/作家)