経団連が日本的雇用からの脱却を提唱しています。前会長の中西宏明氏は生前、「正直言って経済界は終身雇用なんてもう守れないと思っているんです」と語っていました。背景にはレガシー大企業が直面する国際競争力の低下があります。中西氏は経団連のトップだけではなく日立製作所のトップとしての立場でも、日本的雇用を変えなければならないという使命感を強く持っていました。
その日本的雇用とは、そもそも何だったのか、原点から整理をしてみましょう。
実は日本的雇用は戦後生まれた社会主義的な概念です。戦前の日本を支配した財閥をGHQが解体し、新たに始まった日本の戦後の方向性は、終戦直後の時点ではアメリカの社会主義派の経済学者が決めていきました。昭和の終盤まで続いた極端な累進課税はその一例です。
そのようにして生まれた日本的雇用の概念を整理すると、年功序列と終身雇用がまず中心にきます。そして平社員とトップの間の給与格差は極めて小さくなるように設計されていました。たとえば30歳前後の社員の年収が500万円の会社であれば役員の年収は1500万円ぐらい、つまり上と下とでだいたい3~5倍以内というのが日本的雇用としては当たり前の考え方でした。極端な待遇差はよくないとされたのです。
そして会社員は家族であり、お互いに助け合って、お互いのために協力し合うという共同体思想が植え付けられました。休日には家族会に参加をするのが当たり前だし、課長が引っ越しをするときは課のメンバーが休日返上でお手伝いに出かけるのも当然というのがもともとの日本的雇用の実情でした。
米国主導での制度改革説
では、なぜその日本的雇用が壊れたのでしょうか。実は有力な説として「米国主導での制度改革説」というものがあります。
戦後の日本的経営は世界の経営モデルのなかでも成功をおさめ、日本経済は急速に発展しました。そして1980年代には日本企業の海外進出が進み、自動車、家電製品、精密機械、ロボットなど日本製品がアメリカにとっての脅威になってきました。
当時の日本企業は、アメリカにとっては現在の中国企業と同じぐらい経済上の脅威だったのです。現在の中国企業もそうですが、当時の日本企業はアメリカ企業とは違う仕組みで競争力を振るっていました。低い賃金でも我慢するとか、他の人の仕事を手伝って職場一丸で納品するとか、深夜までの残業をいとわないとか、そういった点でアメリカ企業の社会常識とは違う競争相手だったのです。
この点について少し説明が必要かもしれません。アメリカ企業はその逆で、組合が強いこともあり賃金は高く設定されているうえに、職務規程がしっかりしていて自分がすべき仕事は何かが明記されています。たとえば工場で加工を担当する人と、掃除を担当する人がいたときに、加工を担当する人は床が汚れていても掃除はしません。上司がそう指示するのもダメなのです。そして17時になると仕事を止めて家庭に戻ります。
日本企業がアメリカ市場を荒らしまくっていた当時は「日本的労働慣行こそがアメリカの脅威なのではないか」と議論されたものでした。そして、これはアメリカの文書公開で明らかになっているのですが、ロナルド・レーガン大統領からビル・クリントン大統領までの20年間で、アメリカ政府のベストアンドブライテストと呼ばれる頭脳明晰な官僚たちは、日本の競争力を落とすために、日本的雇用を壊すことを目指しました。1989年から始まった日米構造協議や、その後の年次改革要望書は、そのような構造障壁を壊すためのアメリカの試みです。
それで日本に何が起きたかというと、まず派遣社員が誕生します。それまで派遣といえば戦前のタコ部屋労働のような違法搾取が横行する世界でした。その反省から企業は基本的に正社員を雇わなければならないというのが原則だったのですが、派遣に関する法律を整備したことで80年代に派遣業が発展します。
次いで大企業での転職が奨励されます。1980年当時は大企業の社員が転職するなどありえないことだったものが、やはり80年代を通じて社会が変化し、わずか10年間で大企業の優秀な社員の間に転職ブームがやってきます。
そして1990年代中頃には年功序列が壊れ、年下の上司が誕生するようになりました。さらに1999年に男女雇用機会均等法が改正され、男女間の差をつけることが禁止されます。
全体的にはいろいろな働き方ができるようになり、職業選択の自由も進み、女性の社会進出も社会制度が支えてくれるようになったという意味で、これらの日本的雇用の破壊は良い方向への改革だったと評価される出来事です。
それ自体は間違いないと思うのですが、そのように雇用の構造を変えることが、実はアメリカの高級官僚が仕掛けた日本弱体化の戦略目標とも合致していた。そのことも事実です。実際、このことで年功序列といういわゆる悪平等がなくなり、従業員の間の給与格差が広がるとともに、同じ職場のなかに終身雇用で守られた正社員と地位の不安定な非正規労働者が混在するようになりました。
そして冒頭の話に戻ると、まだ完全に壊れてはいない終身雇用が企業経営としては最後の足かせとなっています。大企業のトップから見れば、あとはここを壊すことができれば、年齢ばかり高くてあまりいい仕事をしない中高年社員の待遇を下げて、本当に働いている30代から40代のコア年齢の社員の待遇を上げることができるようになる。そうなれば海外企業と競争前提がそろうと考えているわけです。
日本企業の国際競争力の低下の原因?
一方で、日本的雇用を変えてきたことで、日本の会社からは家族的な一体感が失われてしまいました。実は日本企業の国際競争力の低下は、会社組織への求心力の低下こそが原因だったのではないかともいわれています。身近なこんな話を紹介したいと思います。
私の自宅から職場への通勤路に小さな食品工場がありました。たぶん従業員が20人ぐらい働いていた規模の職場です。東京の人だったら名前を聞いたらわかるぐらいの会社が経営していた工場です。
20年前に私が引っ越してきた当時は、その工場の前の歩道はいつもきれいに掃除されていました。夏の暑い日には打ち水が打ってあるし、冬に雪が積もるときれいに雪かきされていました。それがここ数年、なんというか雑になってきていました。ちょっと汚い話になりますが、たぶん近所に住んでいる方だと思うのですが犬のフンをきちんと始末しない人がいらっしゃいます。以前はこの工場の前にそのようなフンがされているのを見かけると、帰りの頃にはきれいに掃除されていました。ところが5年前ぐらいからそれも放置されるようになりました。
なんでそうなのかというと、これは日本全国で起きていることですが、自発的に会社のために働くという行為が減ってきているのです。
誤解のないようにお話しすると、外食産業や小売業のチェーンではマニュアルがしっかりとできていて、お店の周囲の路上を掃除するのは仕事の一部であると明記されているものです。そのようなチェーンでは仕事の一部として路上の清掃をパートの従業員が担当して、お店の近くの環境を清潔に保ちます。
そうではなくその工場の場合、たぶん間違いないと思いますが、工場のまわりの清掃は従業員が自発的にやっていたのだと思います。その人が代わったのか、上司が代わったのかわかりません。外周りの掃除をしていた人が定年になったのかもしれませんし、新しくやってきた上司が勤務時間中に社員が工場の外に出ることを禁止したのかもしれません。とにかくその工場の場合は、周囲の歩道が汚くなりました。
小さなことに思えるかもしれませんが、このように、従業員が会社を自分たちの家のように考え、自発的に会社のために良いと思うように動くという日本的経営のよさは、全国的に失われつつあります。そのほうが生産性がよくなるという考えもありますが、そのことで社会の一員としての会社のありようも変わってきています。
さて、コロナ禍のさ中、その食品工場は突然閉鎖になりました。働いていた人たちも見かけなくなりました。会社の方針が変わったのでしょう。現在では有名不動産会社のマンションの建設現場になっています。汚かった歩道は、現場監督の指示でしょうか、今では毎日、きれいに掃除され水で流されています。
経団連は、日本的雇用からの脱却が日本の競争力回復にとってよいことだと考えています。そうかもしれませんが、何かを変えたら何かが失われるものです。少なくとも過去30年間の日本の改革の結果だとは断定できないにせよ、日本経済全体はマイナスに動いていきました。中高年社員の報酬を下げることが経済のさらなるマイナス要因にならないかどうか、今度こそは慎重に動いてほしいと私は思います。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)