あのトップお笑い芸人が、“シャレにならない”ほど激怒している――。
8日発売の「週刊新潮」(新潮社)は、お笑いタレント・太田光(爆笑問題)が34年前の1984年に日本大学芸術学部に入学したのは“裏口入学”だったと報じた。記事によれば、太田の父・三郎氏が、裏口入学ネットワークを窓口にして日大側に800万円を支払ったという。この報道を受け、同日放送のラジオ番組『JUNK爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)に出演した太田は完全否定した。
記事内では、日大職員が1次試験前日に太田をホテルに“缶詰”にして、実際の試験問題に基づいて直接指導したほか、面接の指導も行ったとされているが、太田は「ないです、そんなもの」と否定。さらに、学科試験(1次試験)の成績が悪く、2次試験後に一旦「不合格」となったものの、入学式の前日か数日前に「補欠合格」となったと報じられている点について、次のように反論した。
「全部の解答見せたんなら、(1次試験の)成績悪いわけないじゃん。『1次試験:映画(学科)』『1次試験:演劇(学科)』という順番だった。その(合格)発表がある。1次はどっちもパス(=合格)している。あとは面接。映画(学科)の面接で(面接官と)大喧嘩してる。俺、それで落ちてるんですよ、映画」
「当時、旺文社の全国模試っていうのがあった。そこで俺は、国語は“ほぼ満点”だったんだから。学年で4番。日芸の一次試験なんて、国語と英語の2教科しかないんだから。しかもマークシートね。こんなもん、俺だってね、いくら『(自分は)馬鹿だ馬鹿だ』って言っても、謙遜して言ってんだから」
また、試験当日に大講堂に集まった受験生に説明する試験官に向かって、野球のユニホームを着た太田が「引っ込め」と奇声を上げたというエピソードについて、記事では、裏口入学が決まっていたので「太田は高を括っていたのだろうか」と書かれている点についても、こう反論した。
「2次(試験)、日芸ってところの体質として、誰が受かるか、わかんない。メチャクチャな奴が受かるかもしれない。2次試験っていうのは、みんな自己主張してるわけだよ。だから、それで落ちるってことは、(当時の)俺は思っていない」
加えて、記事内で日大関係者が回想する、当日の三郎氏の発言内容についても、「ウチの親父はそんな喋り方を他人にする人じゃ、絶対になかった。そんな“へりくだる人”じゃなかった」「(三郎氏の)性格を知ってるが、そういうことをする人ではない」と語った。
傷つけられた父親の名誉
このほかにも、「(記事内で証言している)日大関係者、会わせろよって。本当に俺は逃げも隠れもしないし、テレビで公開討論してもいい、嘘だってわかってんだから」「俺の前に出て来て、同じこと言えるのか? 出にくかったら、俺は会いたい、コイツと。隠密でもいいわ。『お前なんだよ』って、言いたいよ」と終始怒りを見せていた。
すでに太田の所属事務所は新潮社に対して訴訟を起こす意向を示しているが、ここまで太田サイドが激怒する理由について、別の週刊誌記者は語る。
「太田は子供の頃から、自身と対照的にいつも周囲を賑やかにする三郎氏に憧れを抱く一方で、複雑な気持ちを抱き距離を置いていたため、三郎氏とは生前ほとんど会話らしい会話をしたことがなかったと明かしています。また、以前放送の『JUNK』内で太田は、三郎氏から死の直前に『光クン、俺のこと嫌いだろ? 俺はあんたのために、なんにもしてやれなかった』と言われた際、自分は何も親孝行をできなかったことを悔やんだと明かしています。
反論を展開した8日の放送でも『俺が有名ってことでさ、死んだあとにでさ、こんなふうに世間がなっちゃうのが情けない』と悔やんでいましたが、太田にとって特別な存在である三郎氏が、もはや何も反論できない状況のなかで名誉を傷つけられたことに、太田は憤懣やるかたない思いを抱いているのでしょう」
突如わいた太田の裏口入学報道をめぐる騒動は、今後どのような展開をみせるのだろうか。
(文=編集部)