航空自衛隊の曲技飛行チーム「ブルーインパルス」が東京オリンピック(五輪)開会日の7月23日、東京上空で五輪を描いた際とその前後の編隊飛行時に、航空法違反が生じていた可能性がある。
航空法施行規則第5条は、飛行高度が3000メートル以下の管制区域で、操縦士が目視で位置を判断する有視界飛行の場合、飛行条件を「飛行視程5000メートル以上、航空機から垂直上方に150メートル、下方に300メートル、水平距離600メートルに雲がないこと」と定めている。つまり曲技飛行のような有視界飛行では、雲のなかに入ったり、雲のすぐ近くを飛んではならないのである。理由は、一時的にでも他の航空機を視認できないと、ニアミスや空中衝突の危険があるからだ。
多くの映像でも一部の機体が雲に隠れるのを確認
当日の都心の気象状態は大気が不安定で、映像を見ても、国立競技場付近上空には積雲が発生してその雲底は約1000メートルであった。ブルーインパルスは当初は飛行高度2500~5000フィート(762~1524メートル)を計画していたものの、突然発生した積雲の影響を受けたため2500~3500フィート(762~1067メートル)に下げ、雲の下を飛ぶことにした。しかし、五輪を描く飛行は僚機との間隔を保つ意味でも、上昇、降下、旋回を伴うことや都心の高層ビル群に接近しないために、あまり高度を下げることができないという制約を受けていた。
そのために、いくつかの機体が一時的に雲に入ったり雲との間隔を十分に取らずに飛行せざるを得なかったのである。それは、地上から見ていて機体が一瞬姿を消すことで確認できたのである。五輪を描いた飛行以外にも、編隊で移動したときにも雲の下を飛行していた全機の姿が一時的に見えなくなることがあり、これは雲の中に入ったと考えるのが自然である。
雲中飛行での事故が多発
ブルーインパルスが起こした事故は決して少なくない。1961年、65年、82年、91年、2000年に墜落し、14年には2機が接触して緊急着陸している。このうち1991年と2000年の事故は海霧の中を飛行したために起きたもので、有視界飛行の基本が守られていなかったものだ。自衛隊機の飛行は戦闘行動にも対処する必要から、たとえ雲があっても一瞬ならすぐ雲から出るだろうといった考えが定着していると危惧している。
それを裏付けるように、2016年4月6日に鹿児島県の鹿屋で起きたU-125双発ジェット機の事故が記憶に新しい。当事故は鹿屋航空基地を離陸した後、検査飛行中に有視界飛行状態にもかかわらず雲中飛行をして高隈山に衝突し、隊員6名全員が死亡したものだ。このときの機長は元ブルーインパルスの編隊長も務めたベテランパイロットであった。自衛隊機も航空法を順守する義務があり、前方に雲を発見したときにはそれを回避するか、難しければ反転、あるいは管制に計器飛行を要請する必要がある。
当時この航空法違反に加えて、パイロットが山に接近したときに出されるGPWS(対地接近警報装置)の音声警報のスイッチを切っていたことも判明した。GPWSは1975年から導入されたソフトであるが、世界のパイロットはその警報音を無視して山や丘に衝突する事故が続いて、多くの人命が失われた。パイロットは自分こそが正しくGPWSが誤っていると考えがちで、その習慣を直すのに多くの時間が費やされた。
私は日本空港(JAL)で安全推進部に所属していた1990年代後半、まさにパイロットにこの点の教育を行うことが主な任務であった。その内容は「GPWSが作動したら、それを誤作動と考えたりほかのパイロットと議論することなく、すぐに一旦ゴーアラウンドする」ということであった。それから相当の年月を経て今日では、どの民間パイロットもGPWSに一義的に従うようになった。
鹿屋自衛隊機の事故は、今よりわずか5年前の出来事である。ほかにも飛行マニュアルがJALなど民間航空のものをコピーしたように使用しており、基本的な安全教育は民間航空より約20年は遅れていると思う。
政府が航法違反の指摘に答弁
このブルーインパルスの飛行について、メディアの指摘もあり政府が公式に答弁する事態となった。8月10日、加藤勝信官房長官は東京新聞の記者から「報道によると航空専門家から航空法違反との指摘があるが」との質問に「航空法違反にあたるとの事実はありません。雲に入らない飛行をして、気象観測員を配置して法令を遵守し飛行が行われた」と答弁した。だが、官房長官は映像などを使って証拠を示したものではなかった。
7月23日のブルーインパルスの飛行は、多くの人々がYouTube等で投稿した映像が残されており、それを一つひとつ確認していくと、一部の飛行で航空法に定めた飛行方式を逸脱していたことが十分に読み取れる。
ここで誤解のないように述べておきたいが、有視界気象状態(VMC)と有視界飛行方式(VFR)との違いである。いくら天候が良くて有視界飛行ができる状態であっても、小さな雲にも入ったり接近したりしてはならないのである。7月23日当日の国立競技場上空の天候データは示されていないが、羽田空港での実測では視程、雲底共にVMCであった。各種映像から国立競技場の天候もVMCと類推される。だからといってVFRは維持されなければならないのである。
さて、今回政府が航空法違反の事実を証明することなく言葉だけで否定したものの、その疑いが公になった意義は大きい。当然この経緯は自衛隊、ブルーインパルスのパイロットたちにも伝わり、今後のフライトにおいても影響を与えることになるからだ。今後は、雲中飛行はもちろんのこと、雲からの距離にも神経をとがらせ、メディアや観客の目もより厳しくなるだろう。
ちなみに私は日頃から、実際に自衛隊の部隊に対し安全に関する話をしたり、事故を削減するためのマニュアルを提案しており、自衛隊に対して批判的なスタンスを持っているわけではないことを付言しておきたい。
(文=杉江弘/航空評論家、元日本航空機長)