「戦争がどのような影響を及ぼすのかなど、国民が判断するための材料は、当事者から提供されるものだけでなく、第三者から提供されるものがあるべきだと考えています。現地の人が見るのと、外部の人がみるのでは、見方も変わる。戦争の当事国でなくても、そこから難民が出てくるとか、巡り巡って日本にも影響がありうる。地球上で、紛争なりが起きている場所があれば、そこで起きていることを見に行く、現地に入るジャーナリストの存在が絶対的に必要であるというのが、私の考えです」
ここで言われている「当事者」には、政府も含まれる。外交交渉なり、自衛隊の派遣なり、政府が行った判断について、政府が提供する情報だけではなく、第三者による情報も、国民の判断には必要だ。
たとえば、南スーダンPKOに参加した陸上自衛隊の日報問題は、ジャーナリストの取材活動の中で明らかになった。陸自のPKO部隊が置かれていた環境についても、ジャーナリズムが明らかにしたところが多い。ほかにも、たとえば米軍占領下の沖縄に1300発もの核兵器が置かれ、事故も起こしていた事実などは、政府の発表からではなく、ジャーナリズムの活動によって知ることとなった。
自分には必要ない情報と思っていても、地球はつながっている。望んでも望まなくてもグローバル化が進んでいる現在では、まったく関係ないと思っている地域の出来事が、回り回って日本にも影響を及ぼす「風が吹けば桶屋が儲かる」的な現象がありうる。「風」が吹いているところを取材し伝えることも大事だ。
ジャーナリズムの活動は、戦地取材だけではない。国の内外を問わず、日の当たらないところに光を当てる、忘れられた存在を思い起こさせる、わかりにくい問題を理解しやすく提示することを通して、人々が考える材料を提供することだ。そうした材料がなくなれば、民主主義はまともに機能しなくなる。
当局にとって都合の悪い“材料”を提供するジャーナリストが、弾圧される国もある。サウジアラビアのジャーナリストが、トルコ内にあるサウジ総領事館内で殺された事件は、衝撃的だったが、それを断罪するトルコでも、73人ものジャーナリストが身柄拘束されている。中国でも41人のジャーナリストが拘束されている(いずれもジャーナリスト保護委員会調べ)。
国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、今月2日の「ジャーナリストへの犯罪を処罰する国際デー」に発表したメッセージの中で、次のように述べている。
「この10年ほどの間に、1000人を超えるジャーナリストが取材中に殺害され、その9割は未解決のままで、誰も責任を問われていません」
「今年だけでも、88人以上のジャーナリストが殺害されています。ほかにも数千人が攻撃や嫌がらせ、拘禁の対象となったり、適正手続きなしに虚偽の嫌疑で投獄されたりしています。実に許しがたいことです。このようなことをニューノーマル(新たな常態)としてはなりません。ジャーナリストが標的となれば、社会全体が代償を払うことになるからです」
「報道することは犯罪ではありません。真実と正義を求め、一緒にジャーナリストを守っていこうではありませんか」
幸いなことに、安田さんは生還した。
これを政権を巡る極論の対立という、不毛なバトルだけで終わらせるのではなく、世界の現状に目を向けるきっかけにしたい。あちこちに、たくさんの「安田さん」が未帰還のままでいるのだから。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)