内戦下のシリアで武装勢力に拘束されたジャーナリストの安田純平さんが、約3年4カ月ぶりに解放され、帰国して記者会見に臨んだ。自称「イスラム国」(IS)による後藤謙二さんら殺害の記憶がまだ脳裏に焼き付いているだけに、安田さんが困難な状況を生き延び、帰ってくることができたのは、本当によかったと思う。安田さん自身の強靱な精神力を称えつつ、解放のために尽力した内外のすべての人に敬意を表したい。
イラク人質事件で自己責任論が持ち出された背景
ただ、何かと極端な物言いが跋扈する今の日本では、本件を巡っても、またもや不毛な極論が飛び交ってきたのは残念だ。片や「自己責任」を言い募り、あたかも安田さんを犯罪者のように批判する者がおり、一方で彼を「英雄」視したり、政府が本件で何もしていなかったように非難したりする者もいて、極論と極論がぶつかり合った。
それは、安田さんの解放を題材に、親安倍vs.反安倍という、政治的スタンスの違う両陣営のバトルでもあった。そして、どちらの陣営も事実を無視、もしくは軽視したやりとりが少なくない、というのも気がかりだ。
まずは、この種の事件ではお定まりの用語となった観のある「自己責任」について振り返っておく。
「自己責任」とは、自分が被った損害・損失について、他人のせいにしないことだ。本来は、「投資は自己責任」「資金を自己責任で運用する」「自己責任か公的資金投入か」というように、経済・金融活動について語る時の用語である。
それが拡張され、人生のさまざまなリスクに備える「自己責任」が強調される時代となった。一方で「冬山登山は自己責任で」のようなかたちでも使われるようになる。遭難しても、荒天であれば救助に行かれないかもしれない。死んでもけがをしても、その損害について誰も補償はしてくれない。誰のせいにもできない「自己責任」なのだから、自分で事前にしっかり準備と情報収集をすべし、という警告に使われる。
危険地帯での人道支援やジャーナリストの戦地取材に対して、「自己責任」が言われるようになったのは、2004年にイラクで日本人の若者3人が武装勢力に拘束された事件から。当時の小泉政権で環境相だった小池百合子氏が「危ないと言われている所にあえて行くのは、自分自身の責任の部分が多い」と発言したのを機に、「自己責任」の大合唱となった。いまだ3人が生きて帰れるかわからないという時期に、である。
この「自己責任」は、一見、冬山登山の場合と似ている。危険地帯に行って被害に遭っても、政府は救出に行かれない。また、国家の命を受けて送られた兵士とは違い、自らの判断で行ったボランティアやジャーナリストの場合は、死傷しても国に補償を求めることはできない。
当たり前である。これだけなら、わざわざ声高に主張するような話ではない。それにもかかわらず、政府・与党の政治家があえて「自己責任」を持ち出して3人を非難する世論を誘導したのは、この事件が金目当ての誘拐事件や遭難などの事故とは異なり、政治的案件だったからだ。
米軍によるイラクへの武力攻撃については、国際社会に反対の声は根強かったが、日米関係を重視する小泉政権は、開戦当日にアメリカ支持を表明。03年12月には自衛隊を派遣し、航空自衛隊を米軍などの輸送業務に、陸上自衛隊をイラク南部のサマワで復興支援業務に当たらせた。
この自衛隊派遣を巡って国論は二分した。04年3月時点で、朝日新聞の世論調査では、派遣に賛成が42%、反対が41%と拮抗。NHKの世論調査によれば、賛成51%、反対43%で、前月より賛成が5ポイント増え、反対が4ポイント減っていた。賛成がやや上向き加減だが、世論はなお流動的。そんな時期に、この事件は起きた。しかも犯人グループは、拘束した3人を人質に、自衛隊の撤退を要求した。小泉首相は犯人側との交渉を拒否。人質となった3人の家族との面会希望も拒んだ。
その挙げ句に人質3人が殺害されたとしても、政府の責任ではない、危ない所へわざわざ出向いた本人たちの「自己責任」である。そんな世論を醸成しておくことで、政府への批判が高まらないよう、布石を打っておく必要が政府・与党の側にはあった。雪山登山と違い、この時の「自己責任」には、相当に政治的な意図が塗り込められていたのである。しかも、警告としてではなく、結果責任を当人たちにとらせようという趣旨だった。
この「自己責任」キャンペーンは見事に成功した。3人の家族による記者会見で「迷惑をかけたことへの謝罪がなかった」(本当は謝罪の言葉はあったが、テレビで報じられる時にはカットされていた)という人々の反感と融合して、バッシングの嵐が吹き荒れた。3人が無事に戻ったこともあり、政府への責任追及はなく、拉致事件の被害者である3人に対し「かかった費用を本人たちに払わせろ」「日本から出て行け」などと、さらに追い打ちをかける声が飛び交った。
この一件を機に、「自己責任」は当局の責任を希薄化する表現として定着した。危険地帯への渡航はもちろんのこと、貧困や過労死についても、当人の「自己責任」が語られるようになり、社会的弱者の不満や主張を封じ込める機能を持った用語としても、さまざまな局面で使われるようになった。
事実を軽視した批判合戦
そして今回である。
安田氏は解放されて以降、苦痛に満ちた日々を送ったことについて、誰か他人のせいにするような発言をしているわけではない。いわば、自己の責任を引き受けている者に対して、わーわーと「自己責任」を言い募っても、本来、なんの意味もない。
それに、本件では犯人側から政治的な要求があったわけでもない。安田さんのジャーナリストとしての活動も、党派的主張や政治的イデオロギーではなく、本人の「現場を見たい」という関心に基づいて行われていることは、そのレポートを見れば明らかだ。私の手元には、彼がイラク軍基地の建設現場に料理人として潜入し、見聞きしたことをまとめた『ルポ戦場出稼ぎ労働者』(集英社新書)がある。それを読み返しても、その表現は淡々と事実を記録する、抑制的なものだ。
「自己責任」を言い立てる者のほとんどが、こうした安田さんのレポートを見たり読んだりしていないのではないか。