滋賀県守山市で19歳の女子高校生が薬物中毒で死亡し、38歳の入江公史郎容疑者と21歳の金城え夢容疑者が未成年者誘拐の疑いで逮捕された。男女2人の容疑者は、死亡した女子生徒と会員制交流サイト(SNS)で知り合い、「オーバードーズ(OD)をするために集まった」との趣旨の供述をしているという。実際、女子生徒が亡くなった入江容疑者の部屋からは抗不安薬や睡眠薬、せき止め薬などの約100錠分の空のシートが見つかっている。
オーバードーズ( Overdose )とは過量服薬であり、抗不安薬や睡眠薬、せき止め薬や鎮痛剤が対象になることが多い。抗不安薬や睡眠薬の多くはベンゾジアゼピン系の薬物で、オーバードーズによって酩酊感と多幸感がもたらされるようだ。そのため、「いやなことを忘れたい」「つらいことから逃げたい」「精神的苦痛を和らげたい」などの動機からオーバードーズ常習者が増えている。
その結果、全国の精神科医療機関における薬物関連障害患者の乱用薬物として、覚醒剤についで2番目に多いのが抗不安薬や睡眠薬などの鎮静薬という事態になった。以前は、乱用薬物としてはシンナーのほうが多かったのだが、2000年代後半に鎮静薬が追い抜いた。それと軌を一にして、救急外来に搬送されるオーバードーズの患者も増加した。
今回の事件の背景にもこうした状況があると考えられるが、問題は、抗不安薬も睡眠薬も処方薬であり、医師の診察を受けて処方箋をもらわないと手に入れられないことである。実際、オーバードーズを繰り返す患者のほとんどが精神科通院中であり、われわれ精神科医は患者を治療するためにベンゾジアゼピン系の薬物を処方しながら、同時に依存症患者を生み出しているのではないかと疑問を抱かざるをえない。
医薬品から“ドラッグ”へ
同様の問題は、以前も起きている。2000年代後半に、リタリン(メチルフェニデート)の乱用が拡大して、社会問題になったのだ。
リタリンは、中枢神経を興奮させる精神刺激薬で、一種の覚醒作用を持つため、ナルコレプシーの治療に用いられていた。ナルコレプシーは、昼間の睡眠発作を繰り返し、夜間の睡眠障害、脱力発作、入眠時幻覚などを伴う病気であり、『麻雀放浪記』で有名な作家の阿佐田哲也さんがこの病気に悩まされていたことはよく知られている。
それだけでなく、難治性うつ病や遷延性うつ病に対してもリタリンは保険適用が認められていて、抗うつ薬だけでは症状がなかなか改善しない患者に投与されていた。たしかに、リタリン服用によって、一時的に疲れがとれ、集中力も戻ってきたと喜ぶ患者は少なくなかった。
その反面、リタリンは覚醒剤に構造がよく似た精神刺激薬で、服用すると覚醒剤と同じように高揚感が得られるため、「ハイな気分を楽しむため」に乱用する若者が増加した。覚醒剤と似た快感を求めてリタリンを乱用する若者は「リタラー」と呼ばれ、リタリンも1990年代後半から「病院でもらえる覚醒剤」「精神科でもらえる合法ドラッグ」「合法覚醒剤」などと呼ばれるようになった。リタリンは依存を形成しやすい薬なので、リタリン依存症も急増した。それに伴って、うつ病を装って精神科を受診したり、処方箋を偽造したりする患者も続出したため、2008年以降は、リタリンを処方できる医師も医療機関も登録制になったのである。
もっとも、リタリンと同じ成分のコンサータがADHD(注意欠陥多動性障害)の治療薬として処方され続けている。こちらも同じく登録制だが、同様の問題が今後起きるのではないかと危惧せずにはいられない。
これらの薬物に共通するのは、最初は治療のために用いられていた医薬品が快感をもたらすことが発見されると、“ドラッグ”として乱用されるようになる点だ。医学の歴史を振り返ると、そういう薬はいくらでもある。
その典型がアヘンだろう。19世紀前半のヨーロッパでは、アヘンを用いた治療はかなり広まっており、普遍的な医薬品として推奨されてさえいた。アヘンは、身体の苦痛を和らげ、不眠によってこうむった打撃を癒すのに用いられていたし、ときにはコレラを治療するためにも使用されていた。ところが、アヘンが快感をもたらすことがわかると乱用されるようになった。アヘンに耽溺する人々が増えたことが清朝滅亡の一因になったともいわれている。
人間はできるだけ不快を避け、快を求める動物だとはいえ、本来は治療のために用いられる医薬品を乱用し、その結果死に至った今回の事件は深刻だと思う。ベンゾジアゼピン系の抗不安薬や睡眠薬には呼吸抑制の副作用があるので、オーバードーズが呼吸器系に重篤な影響を及ぼしたのかもしれない。
呼吸抑制の副作用がそれほど強くなくても、オーバードーズによって、抑制がきかなくなる「脱抑制」の状態になり、衝動性が亢進するため、飛び降りたり首を吊ったりするなどの致死的行動が出現することもある。オーバードーズは死と隣り合わせだということを忘れてはならない。
(文=片田珠美/精神科医)
参考文献
片田珠美『やめたくてもやめられない人―ちょっとずつ依存の時代』PHP文庫、2016年