中国、日本の大学・学術界への「侵略」の実態…学術会議問題で見過ごされた経済安保
2020年秋に浮上した日本学術会議任命拒否問題から1年あまりが経過した。菅義偉政権での決定は岸田文雄政権でも踏襲されている。いまだに「学問の自律を脅かす行為」と学術界からは批判の声が多いこの騒動の裏側について本稿ではレポートしていきたい。
筆者も同騒動については昨秋、いくつかの情報を入手して取材に動いていた。任命拒否については「憲法で示される『学問の自由』に違反している」といった指摘もあり批判が巻き起こった。当時の菅首相は「学問の自由の侵害には当たらない」とし、6名の任命を拒否した理由については「総合的かつ俯瞰的に判断した結果」だと説明したが、釈然としない説明に納得するメデイアは少なく、いまだに真相解明を求める声は少なくない。
「中国『千人計画』に日本人 政府、規制強化へ 情報流出恐れ」。21年元旦、読売新聞が書いたスクープは注目すべき記事だった。記事は海外から優秀な研究者を集める中国の人材招致プロジェクト「千人計画」に、少なくとも44人の日本人研究者が関与していたことを明らかにしたもので、政府も規制強化に本腰を入れるというものだった。
筆者は昨秋以来、学術会議問題を取材するとともに、日本の税金が中国の軍事研究に使われている可能性があるという「情報」を追い続けていた。昨年11月には「日本の奨学金を得た『中国人研究者』が帰国後に『軍事研究』していた」(「週刊ポスト」<小学館/21年11月12日号>)という記事を執筆した。当記事は筆者が入手した極秘資料をもとに、日本の安全保障が脅かされている実態をレポートしたものだった
記事では、「国防7校(国防7大学)」と呼ばれている学校の中国人研究者が日本の奨学金制度などを利用して来日し、中国に帰国後に軍事研究に従事していた実態を明らかにした。中国の「国防7校」とは、 北京航空航天大学、北京理工大学、ハルビン工業大学、ハルビン工程大学、南京航空航天大学、南京理工大学、西北工業大学の7大学のことを指す。オーストラリア戦略政策研究所などは、国防7大学と関係を持つことについて「非常にリスクが高い」と評価するなど、安全保障的にも要注意となっている機関なのだ。
これまでの日本の大学は、中国人研究者への危機意識が薄く、安易に受け入れていた実態があった。こうした状況を利用して、日本で“自由”が重んじられてきた分野に中国は狙いを定め、密かに侵略を進めてきた。世界中から研究者を中国に招致する「千人計画」もその一環だろうし、日本の大学が多く受け入れている中国人研究者や留学生も、侵略の先兵となっている可能性があるのだ。だが日本側の対策は遅々として進んでいなかった。
こうした中国の脅威に対して政府が危機感を募らせているなか、学術会議任命拒否問題は起こったと筆者は分析している。
「安全保障問題」と「思想問題」を混在
ではなぜ、学術会議任命拒否問題が“不透明”で“理解困難”なものになってしまったのか。それは政府側が任命拒否問題において「安全保障問題」と「思想問題」を混在させてしまったからだろう。
「本来であれば大学からの中国への技術流出・頭脳流出への対応を優先すべきだったのですが、当時の菅首相は学術会議問題を優先させてしまった。それまで政府は任命拒否した学者だけではなく、多くの学者・識者についての思想調査を行っていたようで、反政府的な人物や左派人脈への警戒感があった。そこで政府は思想問題で任命拒否を強行した節が窺えます。
しかし思想調査では危機の本質は見えない。本来は対中国を視野に入れた安全保障問題として取り組むべきテーマだったのです。それなのに政府が学術会議を疎ましく思っていたのか、思想調査に強く拘ってしまい、本当の問題が見えにくくなったといえるでしょう」(全国紙社会部記者)
日本国憲法では思想・良心の自由について規定している。つまり憲法に抵触する恐れがある「思想問題」を含めてしまったがゆえに、政府側は任命拒否の理由を明らかにできないという袋小路に入ってしまったのだ。故に対中安全保障というテーマは曖昧となってしまい、知識、技術流出への対応が後手に回ってしまったのだ。
「経済安保」問題
例えば米国では対中安全保障問題についてはFBIの捜査対象となっている。捜査上、重要となったのは「思想」ではなく、「事実」だった。
ハーバード大学のチャールズ・リーバー教授は2011年に中国湖北省の武漢理工大の「戦略科学者」として契約し、この地位を通じて千人計画にも関与した。米国においても中国と関わりがあるというだけでは犯罪とならないが、教授に研究助成金1500万ドルを出していた米国立衛生研究所と米国防総省の問い合わせに対して虚偽報告を行ったことが違法と判断され、捜査対象となったのだ。リーバー教授は中国政府が進める海外高度人材招致プログラム「千人計画」への関与について虚偽報告をした罪に問われ、有罪判決が下されている。リーバー教授は、FBIの取り調べに対し、「武漢理工大と連携すれば知名度が上がると考えていた」と供述したという。
「中国への知識・技術流出問題は、今は『経済安保』という言葉で知られるようになりました。経済安保問題を捜査するにあたっては『事実』が最も重要です。何が軍事転用できる技術なのか、どのような研究が安全保障上の脅威となるのかを分析し、突き詰めていくことこそが捜査のうえでは必要となる。
現代社会においては中国と繋がる理由が“思想”だけとは限りません。今後はリーバー教授のように『利益』を理由として中国に近づこうというケースが増える可能性が高いのです。だからこそ政府は思想調査というアバウトなものを優先するのではなく、技術・知識流出の実態解明にこそ力を入れるべきだったと思います」(前出・社会部記者)
昨年の10月20日、米国・バイデン大統領が次期駐中国大使に指名したニコラス・バーンズ元国務次官(65)は上院外交委員会の指名承認公聴会に出席し、「中国は米国の安全保障に対する最大の脅威だ」と発言した。米中対立がますます深まるなか、日本国内においても対中リスクは喫緊の課題となっている。岸田文雄新政権において「経済安全保障担当大臣」が新設されたのもその証左であろう。
より現実に即した安全保障体制をいかに構築してゆくのか。学術会議任命拒否問題の失敗を、はたして日本政府は“教訓”とできるのだろうか。
(文=赤石晋一郎/ジャーナリスト)