17歳の少年は、なぜいじめ自殺した同級生の家に泊まりにいくのか? 背負い続ける後悔
【今回の番組】
8月25日放送『NHKスペシャル~僕はなぜ止められなかったのか? いじめ自殺・元同級生の告白~」(NHK)
ドキュメンタリーは手法だ。映画雑誌等では、「ラブストーリー」「アクション」「SF」のように区分けされるが、ジャンルではない。「伝えたい」ことを表現するための手段だ。そこを勘違いされることが多々ある。
「ドキュメンタリーは現実を撮っているから凄いですよね」と言われることがあるが、制作者にとっては褒め言葉ではない。カメラに記録されるのは撮影者が選んだフレームであり、聞こえる音もマイクを向けた先にあるものだ。膨大な素材から編集された映像は、全体の1/100に満たないことも多い。大切なのは「何をどのようにして伝えるか」なのだ。
『NHKスペシャル』で放送された「僕はなぜ止められなかったのか? いじめ自殺・元同級生の告白」は、再現ドラマが多く挿入されていたが、そこには確かにインタビューだけでは描けないものがあった。しかし、この番組は紛れもなくドキュメンタリーだ。なぜなら現実を素材にした、被写体の物語が苦しいほどに伝わってきたから。
篠原真矢(まさや)君は、3年前いじめを苦に自殺した。享年14。彼は死の直前、遺書のようなメールを送っていた。それを最初に受信していたのが、小島萩司君だった。彼の文面にだけ「もう恨んでないよ」という言葉が加えられていた。番組は小島君と篠原君の過ごした時間をドラマで描き、「なぜ止められなかったのか」を取材で追う。どちらも、見ている僕にとっては苦しい映像だった。
いじられ役からエスカレートしていじめに
篠原君は、いじめられる前はクラスの人気者だった。ドラマでも、お調子者またはいじられ役として、教室内を盛り上げる様子が演じられている。しかし、そういった役割がエスカレートし、いじめへと変わるという構図は多々ある。篠原君の場合もそうだった。さらに周囲の目がある中で行われるから、それがいじめとは映り難い。いくら当人が苦しんでいたとしても、ネタ扱いされてしまうのもオチだ。でも、心のどこかでそれを疑う人もいる。
「あれはいじめだったのではないか」と。そして「あの時、止めていれば、自殺は防げたのではないか」とも。
小島君は今も後悔しているエピソードを、真摯に制作者に伝えたと思われる。ドラマのシーンでは、夜の公園で篠原君と話した時のこと、野球部の練習の光景、突然届いたメールに、満足に返信できなかった時のことが、詳細に描かれていた。
「帰るのかったりいな、ワープしたくね」
「すればいいだろ、魔法で」
「できねえよ」
といった中学生らしい言葉がリアリティに満ちていた。
月命日には、小島君はメールを送られた仲間と共に、篠原君の家へ泊まりに行っている。布団を並べ、わいわいと遊ぶ姿は、現在は高校生であっても、中学生のそれと変わらないような幼さだ。篠原君の父親は「ずうずうしいんですよ」と語り、母親も「何時までいるんだろう」と、迷惑そうに笑う。遠慮のない姿にふたりが救われていることが、実にわかる。
しかし篠原君の両親には、気にかかっていることがあった。「小島君は、何が面白くて、この家に来るのか」ということ。自分たちは気持ちを紛らわせてもらっているが、彼は負担に思っているのではないか、と。
月命日の前日に「泊まりにこないか?」とメールをし、彼を呼び出す。だが、両親の前述の問いかけに対し、小島君は拍子抜けしたように「そんなことはない」と笑う。そして「嫌だったら嫌って言って、ばっくれるタイプだから」と付け加える。その言葉が、まるで篠原君の自殺に気付かなかったことを後悔しているように聞こえた。その夜は遅くまで、小島君は友達の死の原因を篠原君の両親と語り合っていた。だが答えは出ないし、出るはずもない。
ただはっきりしたのは、これからの人生、友達の死をなかったことには決してできないという現実。それは篠原君に関わった人、全員同じだ。小島君は死の直前にメールが届いた時のことを
「俺なら助けに来るんじゃないか、という気持ちで送ってきたのかもしれない」
と思い続けていることを告白し、父親は
「自分を責めないでくれ。そういう想いをさせて悪かった」
と伝える。
17歳の少年が背負う苦悩
だが、それでも彼は首を振り、友達へ返せなかった想いをひとりで背負い続けている。そういえば小島君は話を終える時、何度か首を縦に振る。まるで自分の伝えたいことが伝わっているのかどうかを確認するように。それは相手と、自分自身へと向けられているようだった。彼は、篠原君の気持ちを受け止め切れなかったと後悔し、さらに自分の気持ちも伝えられなかったと思っているのではないか。だからこそ「伝えること」を人一倍、気にしているのではないか。僕にはそう見えた。
なぜ小島君は、この番組に出演したのか。僕が知る限り、友達の自殺を止められなかった17歳の少年が、テレビでその後悔を告白する、という番組を見たことがない。だが、答えは実に簡単だ。小島君は「もう二度といじめを最悪の結果で終わらせることがないように」と願っているからだ。いじめを報じるニュースを聞くたびに彼は、苦しい思いをしていたに違いない。
僕はいじめられた経験があるが、自殺はしなかった。そして、きっといじめの傍観者でいたこともあったはずだし、絶対に誰かを傷つけていないとは言い切れない。いじめは自分のこととして考えなければいけない。
番組の最後には「20人に1人が一学期の間にいじめられたと感じている」と報告されていた。この数字が確かならば、学校に通うほとんどが被害者、加害者、傍観者になっている可能性が高い。僕は、小島君の想いを共有したい。
(文=松江哲明/映画監督)