小栗旬演じる北条義時は、実は菅田将暉演じる源義経よりも4歳年下だった!
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、源義経を演じた菅田将暉さんの快演が光った。
今年29歳の菅田さんが演じているように、義経は若僧というイメージが強い。実際、義経の享年は数え年の31(満年齢だと30)なので、年齢的にピッタリなのだが、実は北条義時(演:小栗旬)はもっと若かった。義時は義経より4歳年下なのである。
俳優の小栗旬さんは菅田将暉さんより11歳年上なので、演じる39歳の小栗旬さんと配役である北条義時は実は15歳も年齢差がある(義時の実年齢のほうが若い)ことになる。
そんな、配役と俳優の年齢差が違っている例がほかにもないのか、おせっかいにも調べてみた。後掲の表のC列の年齢差が大きい人物が、配役の年齢差と俳優の年齢差が乖離している事例だ。
どういう計算かというと――ちょっと面倒で申し訳ないので、あまり興味のない方はこの段落をすっ飛ばしてほしいのだが――まず、配役の生年を調べて昇順に並べ、北条義時との年齢差を計算した(A列)。次に、その配役を演じている俳優の生年を調べ、北条義時演じる小栗旬さんとの年齢差を計算した(B列)。さらに、配役と北条義時との年齢差、俳優と小栗さんとの年齢差を比較した(C列)。
八田知家は北条義時の21歳年上だが、市原隼人は小栗旬より5歳年下
年齢差の乖離が最も大きいのが、八田知家(はった・ともいえ/演:市原隼人)だ。八田は義時の21歳年上なのだが、市原さんは小栗さんより5歳年下なのだ(つまり、“史実”との年齢差は26歳)。ただ、八田知家といってもマイナーな人物でピンとこないので、「ふーん。そうなのか」で済まされてしまいそうだ。
次に乖離が大きいのは、武田信義(演:八嶋智人)、文覚(もんがく/演:市川猿之助)なのだが、武田信義といってもピンとこないだろう。文覚は義時の24歳年上なのだが、市川さんは小栗さんよりも7歳歳上なだけ。ただ、そんなに違和感はない。文覚上人(しょうにん=僧侶)は年齢不詳な上に、市川猿之助さんも年齢不詳(失礼!)なところがあるので、これまた「ふーん。そうなのか」で済まされてしまう感がある。
年齢差がピッタリなのは、三善康信(みよし・やすのぶ/小林隆)で、配役も俳優もともに23歳年上――これもピンときていない。この企画はヤバい(共感を呼ばない)のかもしれない。
源頼朝・義経兄弟、その父・源義朝、後鳥羽上皇、北条泰時…みんなうさぎ年!
年齢差がピンと来る事例として、実の兄弟で並べてみよう。
頼朝の兄弟はどうなっているかというと、
・配役:頼朝―[3歳下]―範頼―[3歳下]―全成―[2歳下]―義円―[ 2歳下]―義経
・俳優:頼朝―[2歳下]―全成―[2歳下]―範頼―[4歳下]―義円―[12歳下]―義経
頼朝と義経は12歳違うのだが、演じる大泉洋さんと菅田将暉さんは20歳違う。菅田さんが段違いに若いのだ。
ん? 12歳違うってことは、頼朝と義経は干支が一緒。ともに卯(うさぎ)年だ。実はこの兄弟の父・源義朝(よしとも)も卯年である。干支(えと)の占いがあったら、源氏の性格は卯年でわかるのかもしれない。ウサギは見た目こそかわいらしいが、その性格は狡猾・臆病・好色であるという。頼朝のイメージにはピッタリだ(頼朝と同い年の和田義盛[演:横田栄司]にはまったくそんなイメージはないが)。
頼朝の側近中の側近、安達盛長(演:野添義弘)もまた、頼朝のひと廻り上の卯年である。江戸幕府の5代将軍・徳川綱吉は「犬公方」と呼ばれ、戌(いぬ)年であることはあまりに有名だが、その側近・柳沢吉保(やなぎさわ・よしやす)、牧野成貞(まきの・なりさだ)の2人も戌年だった(柳沢がひと廻り下、牧野がひと廻り上)。干支が同じだと相性がいいのかもしれない(ただし、安達盛長と和田義盛は相性がいいようには思えない)。
表に掲げた配役の干支を調べたところ、いちばん多かったのが卯年だ。このほかの有名人では北条泰時(演:坂口健太郎)がいる。第23回(6月12日放送)では、当時10歳の金剛(北条泰時)を30歳の坂口さんが演じ、「成長著しい」とネットで皮肉られた。継母の比奈(演:堀田真由)は生年不詳なので表には掲げていないが、堀田さんは坂口さんより7歳も若い。困ったことだ。
山本耕史は小栗旬より6歳年上だが、三浦義村は北条義時より5歳年下
義時―義経のケースのように、配役と俳優の年齢が逆転している事例を挙げていこう。
まず、配役では義時より年上なのに、俳優は小栗旬さんより年下という事例は3例あるのだが、八田知家、源義経、平維盛(たいらのこれもり/演:濱正悟)と維盛以外は上に既述してしまっている(維盛はマイナーなので記述を割愛する)。
次いで、配役では義時より年下なのに、俳優は小栗旬さんより年上という事例。これは1例しかない。三浦義村(演:山本耕史)だ。
山本耕史さんは小栗旬さんより6歳年上なのだが、三浦義村は北条義時より5歳年下だ。山本さんが年上のせいか、三浦義村は北条義時にとって、よき相談相手というか、兄貴分みたいな感じに描かれているが、史実では実は5歳も下なのである。30代を過ぎる頃だと5歳くらいの年齢差は誤差の範囲かもしれないが、10~20代では結構な差になるのではないか。
『鎌倉殿の13人』第19回(5月15日に放送)で、義経軍挙兵を迎え撃つべく、頼朝が全軍で京に攻め上ると決断するが、鎌倉武士団は義経の強さにひるんで同調しない。そこで、義時が目配せして、義村がやおら立ち上がりみなを鼓舞して、ようやく出陣が決定するというシーンがあった。
山本耕史さんが演じるととても説得力があるのだが、時は元暦2(1185)年秋、三浦義村はまだ17歳だ。「部活の遠征に行くんじゃないんだぞ!」と怒られるのが関の山である。
壇ノ浦の戦いのときにまだ17歳ということは、『鎌倉殿の13人』のオープニング、つまり安元元(1175)年では、三浦義村はまだ7歳だった計算になる。このとき、北条義時は12歳だ。なんと早熟だったのだろう。
畠山重忠…1979年の大河ドラマ『草燃える』と『鎌倉殿の13人』の人物イメージの乖離
年齢は逆転していないが、年齢差が著しいのが畠山重忠(演:中川大志)だ。
重忠は義時と1歳しか違わないのに、中川さんは小栗さんより16歳も年下なのだ。源平合戦の最中、重忠がそろそろ身を固めなきゃとつぶやくと、義時が妹はどうかと薦めていたが、1歳年下ならば、年齢的にも釣り合うに違いない(ちなみに、重忠は再婚で、前妻は足立遠元[あだち・とおもと/演:大野泰広]の娘だ)。
同じく鎌倉幕府草創を扱った1979年のNHK大河ドラマ『草燃える』では、重忠役の森次晃嗣さん(ウルトラセブンのモロボシ・ダン)が幼女と並んで祝言を挙げ、気の毒だった憶えがある。従来、畠山重忠は愚直で忠義に厚く、力持ちといったイメージだったが、『鎌倉殿の13人』では、むしろ理解が早く知的なイメージが強い。そんなところも、今回の大河の見所なのかもしれない。
(文=菊地浩之)