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藤和彦「日本と世界の先を読む」

年収700万円の中間層が生活困窮…米国社会を蝕む急激な物価上昇

文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー
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米国ホワイトハウスのHPより

 米国で物価上昇(インフレ)に歯止めがかからず、長期化する懸念が高まっている。6月10日に発表された5月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比8.6%上昇し、約40年ぶりの高水準に達した。伸び率の加速は2カ月ぶりだ。

 コロナ禍にロシアのウクライナ侵攻が重なったことでエネルギー価格などが急激な速度で上昇し、インフレが再加速している。バイデン政権はウクライナに武器を供与し、戦争を長引かせようとしているが、このことが災いして国内のインフレが激化し、景気が急激に悪くなるという皮肉な事態を招いているのだ。バイデン大統領は10日の演説で「プーチンのせいで物価が上がり、米国は打撃を受けている」と訴えたが、苦し紛れの言い訳のように聞こえてならない。

 インフレ抑制を最重要課題として中間選挙に臨む構えのバイデン大統領にとって最悪の展開だと言っても過言ではない。今年11月に実施される中間選挙で民主党が惨敗する可能性が生じている。ギャラップが実施した最新調査によれば、有権者の議会や大統領に関する満足度が1974年以降の中間選挙の年の平均を10ポイント以上も下回っていることがわかったからだ。中間選挙の結果、上院と下院ともに共和党が多数を占めるようなことになれば、バイデン政権がレームダック化することは必至だ。

 バイデン大統領は8日夜のABCのトーク番組で「インフレは我々の存在を脅かす災いの元だ」と述べたように、インフレは米国の人々の生活を脅かし始めている。約30の州が家計支援の対策を講じようとしている(6月17日付日本経済新聞)が、「焼け石に水」の感は否めない。なかでも深刻なのは政府からの支援策が期待できない中間層だ。

 米国では約700万円の年収で安定した暮らしを送っていた中間層がインフレで生活費が不足し、血液中の血漿を売らなければならない状態に追い込まれているという(6月3日付クーリエ・ジャポン)。生活費の足しになるとはいえ、血漿を抜くと体が弱って病気になりやすくなる。生活をなんとか維持するため、米国の中間層は自らの健康を犠牲しなければならなくなっているといえよう。

インフレ、心理面での影響

 バイデン政権と与党民主党への支持が低い最大の理由は、車社会の米国にとって生活必需品といえるガソリンの価格が連日のように過去最高値を更新していることだ。米国の平均ガソリン価格は11日、史上初めて1ガロン(約4リットル)当たり5ドル(約670円)台となり、1年前に比べて約6割も高くなっている。バイデン政権は躍起になってガソリン価格を引き下げようとしているが、有効な手段を打つことができないでいる。

 ガソリン価格の高騰に対する不満が渦巻く中、バイデン大統領は10日のロサンゼルスの演説で「エクソンモービルなどの石油会社はガソリン価格の高騰につけ込んで『神』よりも儲けている」と批判した。ガソリン価格が高騰しているのは、需要の回復過程でウクライナを侵攻したロシアへの制裁や精製能力の逼迫などの要因が重なったからだが、バイデン大統領は政権への批判をかわすため、あえて大手石油会社をやり玉に挙げたのだ。

 インフレの影響は経済面にとどまらない。心理面での影響も見逃せない。人々のインフレに対する忌避感が高いことから、インフレ対策にはポピュリズム的な要素が紛れ込みやすい。バイデン大統領の発言は、米国人の3人に2人が「インフレを悪化させているのは悪徳企業が便乗値上げをしているせいだ」と考えていることを念頭に置いたものだったのかもしれないが、「巨悪を名指して糾弾し、人々の歓心を買う」という物言いはポピュリストの常套手段だ。非常に軽率な発言だと言わざるを得ない。

民主主義が麻痺

「インフレは民主主義を衰退させる」との指摘がある(6月6日付日本経済新聞)。インフレは一部の者だけが恩恵に浴する事態を生み出す。民主主義の基盤ともいえる中間層の不満を高まるばかりだが、政府がインフレがもたらす不平等を是正する有効な手段を持ち合わせていないことが多い。このため中間層の不満が政治への不信に変わるのが常だが、このような政治状況下で活躍するのはプロパガンダを駆使するポピュリストだ。彼らは中間層の憎悪の炎をかき立てればかき立てるほど、社会に深刻な分断が生まれ、暴力がまん延する。その結果、民主主義が麻痺してしまうというわけだ。

 残念ながら米国は先進国のなかで最も暴力事件が起きる状況にある。新型コロナのパンデミックやBLM運動を機にニューヨークを始め大都市の治安はさらに悪化している。銃撃事件が相次いでいる米国で「銃乱射は必要悪だ」と考える人が少なからずいることも明らかになっている。CBS等が6月初旬に行った調査によれば、「銃乱射は自由な社会では受け入れなければならない出来事だ」と回答した人が28パーセントにも上った。

 銃犯罪とともに米国社会を揺るがしているのは薬物中毒の問題だ。高騰しているガソリンに比べてコカインの価格のほうが割安になっており、今後、薬物中毒に起因する犯罪が多発する可能性も排除できない。

 ウクライナ危機以前の米国では「シビル・ウォー(内戦)」という言葉が飛び交っていた。このような状況は今も続いており、インフレを抑制できないバイデン政権が苦し紛れにポピュリズム的な手法を駆使するようになれば、国内に潜んでいるポピュリストたちに格好の活躍の場を与えるだけだろう。レームダック化が危ぶまれるバイデン政権だが、米国の民主主義自体をも危機にさらしてしまうのではないだろうか。

(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)

藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー

藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー

1984年 通商産業省入省
1991年 ドイツ留学(JETRO研修生)
1996年 警察庁へ出向(岩手県警警務部長)
1998年 石油公団へ出向(備蓄計画課長、総務課長)
2003年 内閣官房へ出向(内閣情報調査室内閣参事官、内閣情報分析官)
2011年 公益財団法人世界平和研究所へ出向(主任研究員)
2016年 経済産業研究所上席研究員
2021年 現職
独立行政法人 経済産業研究所

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