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木村誠「20年代、大学新時代」

大学院生に出世払いの奨学金導入?名古屋大学は博士課程・年173万円返済不要

文=木村誠/大学教育ジャーナリスト
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名古屋大学の豊田講堂(「Wikipedia」より)
名古屋大学の豊田講堂(「Wikipedia」より)

 政府の「教育未来創造会議」は、この5月に①未来を支える人材を育む大学等の機能強化 ②新たな時代に対応する学びの支援の充実 ③学び直し(リカレント教育)を促進するための環境整備などの課題に関して、取り組むべき具体的方策を取りまとめた。

 ポイントをまとめると、(1)理系分野を専攻する学生の割合を5割程度に引き上げる、(2)理工農系の女子学生には支援を上乗せする、(3)大学生の授業料減免や生活費補助を中間層世帯にも拡大する、(4)大学院生に「出世払い」方式の奨学金制度を導入する、などである。

 やや思いつきのような内容ではあるが、これが大学院進学の動機形成や女子受験生の理工農系志向の高まりに本当につながるかどうかが、注目されるところだ。

 5月後半に、続いて出された末松信介文部科学大臣のメッセージでは、特に(1)理系分野を専攻する学生の割合を5割程度に引き上げること、(2)理工農系の女子学生には支援を上乗せすること、に関して、「現実の受験生全体の志向を方向付けすることが大切である」と強調している。

 そのためには長期的な制度設計と地道な働きかけが必要で、生徒、学校、保護者、企業などに向けて、理工農系女子の育成などのために独自のメッセージを発信している。ただ、逆に言えば、かなり息の長い取り組みとなることを承知しているのであろう。

 その点で、上記(4)のライフイベントに応じた柔軟な返還(出世払い)の仕組みの奨学金を創設する具体策は、政策的判断ですぐに実現可能といえるだろう。返還者の判断で柔軟に返還できる仕組みを大学院段階において導入するのだから、導入にそれほどの時間を必要としない。

 また、現行の貸与型奨学金について、無利子・有利子に関わらず、現在返還中の者も含めて利用できるようにすることや、在学中は授業料を徴収せず、卒業(修了)後の所得に応じた返還・納付を可能とする新たな制度をつくることも同様だ。

“エリート”のはずの大学院生にも経済支援

 2020年から高等教育無償化政策としてスタートした授業料等減免・給付型奨学金の対象からは、大学院生は除外されてきた。大学・短大進学率は今や60%であり、高卒の過半数が進学する大学生(学部生)や専門学校生とは違って、大学院生の比率は同世代の中で10%にも達しておらず、「大学院生は今でもエリート」といえるからだろう。

 さらに、大学学部卒業生のうち大学院に進学する者は12%前後で、近年は2010年の大学院進学率15.9%より低下傾向にある。

 高等教育無償化政策の修学支援制度の主眼は、次のような懸念の解消にある。学力があるのに経済的理由で大学などに進学できない場合、将来学歴による収入格差が生まれやすい。また、卒業後に家庭を持ち、その子の進学にも影響するようになれば、格差が固定化してしまう。子どもにとっては“親ガチャ”でハズレを引き当てたようなものだ。

 そのため、大学院生は、まだ格差是正を重視すべきユニバーサル段階とは見なせない。つまり、エリートであるため無償の給付対象にはなじまない、というのが文部科学省など政策当局者の判断だったようだ。

 ところが、大学院離れが進めば日本の大学の教育・研究力レベルの低下は避けられない。大学院生のサポートがなければ、大学の教育・研究力が維持できないのが現状だ。その結果、日本の大学の世界ランキングの低下現象は進む。

 また、グローバルな日本企業にとっても、一般的な世界的外国企業人とビジネス上のコミュニケーションを取るには、大学院レベルの技術者や研究者が必要になっている。経営者や管理者でも大学院クラスの文化的素養が欠かせない、という声も多い。

 このような危機意識もあって、ともかく大学院離れを食い止めようとして、大学院生に「出世払い」方式の奨学金制度を検討することになったのであろう。提言では、現行では返済不要の給付型奨学金が存在しない大学院生に絞って「出世払い」方式の奨学金を導入するという。給付型にしないところがセコイ気もするが……。

 この官民共同修学支援プログラムの「出世払い」方式の奨学金は、当該学生が就職後、一定の年収に達した段階から授業料を返済する仕組みだ。授業料は国が立て替えるため、学生は在学中に支払う必要がない。

「高学歴ワーキングプア」が生まれた背景

 戦後の大学は学部を土台に教育研究組織が作られたので、大学の先生は学部の教員であり、大学院は兼任ということが多かった。ところが近年、グローバル化が進み、企業サイドから要求される教育研究レベルが高度化してきた。1990年代に入ると、大学院の重視政策が打ち出された。学部より大学院に重点を置く大学の創生である。

 真に受けた有力国立大学の多くは、組織的に大学院の重点化を進めた。ただ、文部省(当時)の顔を立てて、教員の所属を大学院に変えただけの大学もある。教育研究活動を全面的に大学院へシフトした大学は多くはないが、中には学部入学定員より大学院入学定員の方を多くした大学もある。旧帝大系の多くは国の大学院重点化構想に沿い、大学院の入学定員の方が学部より多くなった。

 この結果、当初の期待とは逆の現象が生まれた。学部定員の一部を大学院に振り替えて急に増やしたため、研究者志向も薄く、今まで大学院進学を考えなかったような層が大学院に進学してきたのである。特に1995年から2009年頃までの就職氷河期には、学部卒業時によい就職先を見つけられなくて、緊急避難として大学院に進学する者さえ出てきた。

 しかし、大学院を出たけれど、好条件の働き口が見つけられないというモラトリウム傾向は続いた。理工系や医療系を除き、文系、特に人文科学系の大学院出身者の進路は厳しくなった。大学教員などの研究者の採用数が減り、半面では実務家教員などが増え、大学院生などは厳しい状況に追い込まれた。数校の非常勤講師で生活費を確保せざるを得ない修士や博士も増え、近年、社会問題となっている。「高学歴ワーキングプア」という言葉が生まれたほどだ。

経済的不安を抱える大学院生の実態

 日本学生支援機構が2022年に公表した「令和2年度院生生活調査」の報告書によると、「経済的に勉強を続けることが難しい」と答えた比率が、大学昼間学部生は「大いにある」が1.9%、「少しある」が11.04%だった。それに対し、修士課程は「大いにある」が3.6%、「少しある」が14.0%、博士課程は「大いにある」が5.9%、「少しある」が17.8%と増えている。大学院生に経済的不安を抱えている者が多いのは確かで、「出世払い」の奨学金制度に意味はある。

 ただ、大学院を卒業しても大学の教員として残れる可能性が低くなっている現在、卒業後の大学院生を生かす政策の方が根本的な対策といえるであろう。

 名古屋大学では、2022年6月29日に「大学院の学生への奨学金を拡充する」と発表した。返済不要の奨学金を従来の2倍にして、博士学生は年173万円に引き上げるという。杉山直学長は「日本の社会変革のため、問題解決能力の高い博士人材の活用が必須だ。経済的負担を気にせず、博士課程に進学してもらいたい」と話している。大学院生をサポートする大きな一歩だ。

 専門分野を生かせる中・高校教員の採用ルートの確立、任期付き大学研究職の身分保障と民間企業との連携など、取り組むべき課題は多いはずだ。経済的な心配をすることなく、安心して研究活動に打ち込める本来の大学院生の存在こそが、日本の大学全体の研究活動を支えるのだ。

木村誠/大学教育ジャーナリスト

木村誠/大学教育ジャーナリスト

早稲田大学政経学部新聞学科卒業、学研勤務を経てフリー。近著に『ワンランク上の大学攻略法 新課程入試の先取り最新情報』(朝日新書)。他に『「地方国立大学」の時代–2020年に何が起こるのか』(中公ラクレ)、『大学大崩壊』『大学大倒産時代』(ともに朝日新書)など。

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