(「田村憲久氏HP」より)
新聞に載る”国会”記事は、中堅記者がテレビ中継を聞いて「答弁の要旨」にし、数本の「雑報」を書くだけ。本会議代表演説は、事前に与野党の草稿をもらっていることすらもある。せめて発言をチェックした上で記事にするのは前提のはずだが、演説する議員が直前に直しを入れたのに、草稿がそのまま一面に載ったこともあるのだ。要するに、新聞には切り取られた部分しか載らないのである。そんな新聞が”野菜の切りくず”としか考えていないが、政局を見る上で重要な”くず”をお伝えしていく。
「子ども手当改め児童手当法」が、2012年3月30日、政府原案を修正して可決・成立した。これは、昨夏からの「民自公3党協議」により、政府案を大幅に修正。新しい手当は、0歳から2歳が月1.5万円。3歳から中学生が1万円。3歳から小学生に限れば第3子以降は1.5万円。世帯年収960万円以上などの所得制限世帯は一律5000円となった。これで0歳から15歳までのすべての子どもへの現金給付が恒久化した。
3党協議にあたった公明党の古屋範子議員(比例南関東東北)は「遅きに失したが、民主党の決断は評価したい」「もっと早くマニフェストを見直して政策の転換ができなかったのか。そもそも民主党の子ども手当は旧来の児童手当に国費を上乗せしたに過ぎない。公明党もこの40年間、児童手当を拡充してきました」と述べた。
これに対して、小宮山洋子厚労大臣(衆院東京5区)は「もともと社会全体の中で、この国の子育ちに回るお金が少なかった。控除の廃止で財源が作れると思ったが足りなかった。見通しが甘く申し訳ない」と謝罪。各党のメンツを保つことで恒久化に成功した。年間3兆円規模の国費を動かす法案は政府与党の専権事項だったが、与野党議員が「法律」を作り上げたのは、大いに評価したい。
今回の、児童手当法の民自公協議では、自民党の田村憲久氏(三重4区比例復活)が重要な役割を果たした。野党ながら修正案提出者として久しぶりに答弁席にも座った。
田村氏といえば、先々代から70年間衆議院の議席を維持し、家業は地元の土建会社でケーブルテレビ(ZTV)は隣県にも進出している。地元では、政治力財力ともに強い典型的な世襲議院だ。
だが、厚生労働行政というものは、基礎年金の国庫負担(税金の直接投入)の割合が36%から50%に上がるなど、常に微修正の繰り返し。その歴史はぐちゃぐちゃで、逆にこういうような長く政治に携わり、経緯を知る議員がいないと議論が成り立たないという皮肉な現状がある。
過去を振り返ると、田村氏らは政権交代前から既に野党のような役回りだった。08年頃、民主党の長妻昭氏(東京7区)の「消えた年金」に対する質問攻勢が話題になり、珍しくテレビカメラも頻繁に衆院分館の第14委員室に来るようになった。このころ、長妻氏が茂木敏充委員長(自民党、栃木5区)に対して「すっとぼけた委員長」と発言。茂木委員長はこの発言がえらく癪にさわったらしく、この発言を委員長単独の判断で議事録から削除してしまい、大もめに。通常、議事録修正は理事会が決めるものだが、茂木氏は相当怒ったようで、委員長職権を使った。