今は高いモラルが求められる時代となった。夜の街、大人の世界においても、また然り。
今年7月、元舞妓のkiyohaさんによる花街の実態ツイートが世間の耳目を集めた。未成年への飲酒強要、意に沿わない客との混浴など、その内容の衝撃度からか、ツイートから約2カ月を経た今でも、ネット上で話題が途切れない。
このkiyohaさんのツイートによるインパクトが冷めやらぬなかで起きたのが、『週刊新潮』(新潮社)、『週刊文春』(文芸春秋社)が同時に報じた、いわゆる“香川照之事件”だ。“香川事件”の詳細については新潮と文春、そして続報を放った他メディアに譲るが、当初、謝罪コメントだけで騒動の幕引きが図られるかにみえた香川が、世論という名の真綿でじわじわと首を絞められていけばいくほど、人々は「裁きを行うは我なり」とばかりに糾弾の声をあげた。
kiyohaツイート、香川ショック……、この一連の出来事は、花街、銀座といった夜の世界ですらも、「もはや非常識な振る舞いは社会と時代が許さなくなった」という一言に尽きるだろう。
そんな夜の世界に15歳から身を置き、その道30年以上を生き抜いてきたさくらさん(仮名)に、これら一連の出来事をどうみているのか、話を聞いた。
入口からハードル高い舞妓の世界
京都で舞妓、大阪・キタ、同じくミナミ、東京では六本木と銀座と、ネット上で今なお注目されている話題の舞台となった地でキャリアを積んださくらさんの話を聞けば聞くほど、知られざる「夢を売る世界」で生きる人の等身大の姿が浮かび上がってくる。
「綺麗な着物を着られる――舞妓さんになる動機なんて、そんなもんちゃいます? だって中学生の女の子ですよ。それ以上でもそれ以下でもない思いますよ」
関西のとある地方都市、そのなかでも比較的裕福な家庭に生まれ育ったさくらさんは、舞妓になったきっかけをこう語る。時はまだバブルの残り香が漂う時期、世の中全体が実体のない景気に浮かれていた頃の話だ。
「どうしても舞妓になりたい思て、親に言うたんです。反対されたかて? ううん、反対も何も、そんな人(舞妓さん)親戚や通ってた中学からも出てへんし、周りにもいてへんかったから、親も本気で取り合ってくれませんでした」
その両親を説得し、「一人前の芸妓になるまで絶対に辞めない」という約束で、舞妓の世界入りを認めてもらった。伝手を辿り、地元の名士の紹介により、ある置屋を紹介してもらう。この置屋とは、さしずめ芸妓、舞妓が属するプロダクションといったところだ。
その置屋の主は「お母さん」と呼ばれる経営者である。舞妓になるには、このお母さんが舞妓を目指す本人、そして両親との面談(面接)を経て、舞妓修行へと進むのが通例だという。
「保証人は要りますね。それは人物の保証という意味。お母さん(置屋の主人)からしたら、他人様の子を預かって一人前に育てていくわけですから」
姉妹盃、仲人、未届人……縦横無尽の人間関係が秘密を保たせる
近年では京都の主要な置屋、京にある五つの花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)を支援する「おおきに団」こと京都伝統伎芸振興財団に直接連絡、そこから縁を紡ぎ、芸舞妓への道へと進む少女もいるそうだ。
いずれにせよ、いくら本人の意思が強くても、両親の許可を得ず家出同然に出てきた少女が、この世界に入り込むことはない。皆、素性がわかる由緒正しい世界である。
置屋のお母さんとの面談で縁が定まると、「仕込み」と呼ばれる修行を積む。その期間は概ね1年程度。芸妓となるための作法、日本舞踊、掃除、花街でのしきたり、京言葉を学ぶ。
「厳しいです。でも、どこの置屋さんでもお母さんは『自分がお腹を痛めて産んだ子』という意識で仕込みさんを取ります。厳しい中にもお母さんの優しさを感じる日々です」
仕込みを終えると「見習い」へ。この見習いの間は、先輩芸妓についてお座敷での仕事を覚える。この先輩芸妓は後輩の面倒をみる、いわばメンターだ。姉妹盃を交わし、姉となる先輩芸妓は、妹の後輩舞妓の面倒をみる。妹は姉に仕えるという関係が生涯続く。
なお、この姉妹盃の儀式は厳かに行われる。お茶屋の女将さん(いわゆるお座敷、芸妓を呼び客に飲食を提供する店。東京では待合と呼ばれる)を仲人とし、各花街の組合長が盃を治める。市井に生きるわたしたちからはやや想像がつきにくいが、それまで他人だった男女が夫婦として家族になる関係に近いといえばわかりやすいだろうか。
「姉妹盃を交わすと、もう本当の家族同然、いえ、それ以上に濃密な関係です」
kiyohaさんのツイート以前は、京の花街の実態がおぼろげながら伝わっても、その実情がなかなか詳らかにならなかったのは、こうした疑似家族的で濃い人間関係から、「関係者に迷惑をかけられない」という意識があったことは誰しも察することができるだろう。
「お母さん、お姉さん、仲人さん……、この年になっても迷惑がかかってはいけない、そんな意識はいつもありますね」
暗に京の花街時代の話はしないという意味である。それでも筆者は、無粋の誹りを承知で問うてみた。昨今、伝えられる「お風呂入り」(客と芸舞妓との混浴)、「未成年舞妓への飲酒強要」などは、さくらさんが京の花街で現役を張っていた頃、目にしたり、耳にしたのか。あるいは、さくらさん自身もそうした経験があるのか。もしくは、こうした話題が出てくることをどう思うか、その胸の内を聞かせてほしいと。
記者の問いを、笑みを絶やさず、それでいて凛とした、何者も寄せ付けない厳しい空気感をその小柄な体から発しながら、さくらさんはそれまでとは打って変わったゆっくりとした口調、そして静かだけれどもはっきりとした声で、こう言葉を発した。
「そういうこと、大記者さんは聞かないものですよ」
にっこりとほほ笑むさくらさんは、それ以上、口を開くことはなかった。
ホステスは芸舞妓よりもしがらみがない
舞妓から芸妓へと進んださくらさんだが、その後、活躍の舞台を大阪・キタへと移す。
その間、ワンクッション置いたというが、「世間知らずな少女が世間を知るための時間に費やした」「芸妓ではない自分探し」「それまでできなかった外国語の勉強した」と、詳しいことはお茶を濁した。
ただ、大阪・キタで「夜の蝶」としてのキャリアをスタートさせて以降は、大阪・ミナミ、東京では六本木や銀座を転々とし、今は再びミナミに落ち着いている。
「もともと関西の人間やしね。関西のほうが落ち着くゆうのもあるんです」
京都、大阪、そして東京――、さくらさんのこれまでの人生のうち、「今では遠い過去」という芸舞妓時代の京都を除くと、キャリアの大半は「夜の蝶」として大阪と東京の二大都市で過ごしてきた。商都・大阪、首都・東京の夜の街と、京都の芸舞妓の違いについてさくらさんは一言、「しがらみのないところ」と語った。
京都の芸舞妓は、先にも触れた姉妹盃にみられる濃密な人間関係もあり、もう古い過去の話といえども、なかなか表に出すことはできない。しかし、キタにミナミ、六本木に銀座の話となれば、京都とは打って変わって話せることもあるのだろう。
もちろん、これら夜の街の女性たちにも濃密な人間関係は存在する。だが「盃を交わし」「仲人を立てて」「見届け人」まで据えるほどではない。
「夜の商売において、(お客さんの)誰がどういう振る舞いをした……ということが表に漏れるのはご法度です。それはこれからも変わりません。でも、大勢の皆さんがご興味を持っていて、かつ誤ってご理解なさっているところについて、正しくお伝えするということであれば、今の時代、許されるのかもしれませんね」
さくらさんは、柔らかくもしっかりとした視線を記者にやる。「夜の蝶」の舞台裏について、ほんのすこし語ってくれるようだ。
客を落とすために「特攻をかける」――
「『指名』という言葉、聞いたことありますよね?」
さくらさんのこの問いかけに筆者が「ある」と答えると、これに被せるようにゆっくりと話す。
「なら、『トッコウ』という言葉は?」
最初、何の意味かわからなかった筆者が聞き直すと、こう説明してくれた。
「体当たり、戦争中の特攻隊の特攻――」
合点がいった記者は、さくらさんに「知っています」と言うと、さらにこう言葉を継ぐ。
「ホステスは指名料で稼ぐところがあるのはわかるでしょ? 自分を指名してもらう、銀座なら『係』といって、またちょっとシステムが違うのだけど、要はずっと自分を目当てに通ってくれそうなお客様と、より深いご縁を紡ぎたいとき、その場合は“特攻”をかけるくらいの子でなければ生き残れないということもわからなくはないかな」
持って回った物言いが、なんとも臨場感に溢れている。もっとも、それなりに酸いも甘いも経験した大人なら、こういうことがあっても不思議ではないと思うものだろう。
「京都時代の芸妓さん、舞妓さん時代はいかがでした?」
あえて直接的な物言いで問うてみた。
「さあ、どうかしら」
じっと筆者の目を見据えたままアルカイクスマイルを崩さない。
「京都はもう忘れてしまったけれど、夜の街で男女の話を聞くのは無粋というものよ」
言外の意味を悟らせる言葉運びといったところか。
夜の街で男女の色々は当然のことと、そこそこの年齢を越えた大人なら弁えておくことなのかもしれない。
水に流せることと流せないこと
さて、では、この特攻とは、自らの意思で行うものなのか。それとも店のほうから、すなわちマネジメントサイドから強く要求されることもあるものなのか。下衆な世界にどっぷり浸かっている記者にとっては、とても興味深いところだ。
「ごく普通の男女、いい男、いい女がいたら縁を紡ごうというお節介さんは、どこの世界でもいるものじゃないかしら?」
決して断定的な物言いをしない、はぐらかしつつも想像を掻き立てる言葉運びが、なんとも夜の華やかな世界を思い起こさせる。
「たまにね、自分からお節介さんに頼み込んで縁を紡ぎにいく、そんな元気娘もね。広い世の中にはいても不思議ではないかも」
どこまでも真実をはぐらかす、これが却って言葉では言い表せない何かを感じさせる。
「男女の世界なので、やはりトラブルはあるのでしょうね」
この筆者の問いにさくらさんは、はにかんだほほ笑みの中にも鋭い視線を崩さず、こう言葉を継いだ。
「そういうトラブルも『おふざけが過ぎた』と水に流す――それが夜の世界ではないかしら。銀座とかキタとか関係なくどこでも」
この言葉のうち「水に流す」のところ、ここをことさら強調するようにゆっくり話す。おそらく昔も今も、水に流せないこともあるのだろう。
夜の世界に通じた男性によると、そもそも店から、「うちはお客様がお見えになられるほどの格がまだ備わっていないので」「お客様に来て頂くには申し訳なくて」といった言葉が出てきた段階で「もう二度と来るな」というサインである。
どこまでも客を傷つけないよう店側が客に配慮した言葉、これがわからない無粋者と認められると、「しばらくお店への出入りはご遠慮頂きたく」と、誰もがわかりやすい言葉で“出入り禁止”と相成るという。
「そういう無粋なお客様でも、ほかのお店に通うようになれば、かつての経験を踏まえてお行儀を弁えられるものなんですよ」
香川照之、傾奇者としての本領発揮?
人は失敗から学ぶものである。初めこそ夜の世界のマナー、モラルを弁えず、出入り禁止を食らっても、その経験を糧とし、ほかの店で“良客”として振る舞えば、決して悪評など立とうはずもない。
さくらさんは言う。
「しばらくお店への出入りを控えて頂いていたお客さまが、何年か経ってやってこられてご苦労の痕を見せられると、それはもう途切れないご縁になるものです。そのときはお店、お仕事抜きの関係になれるものです。それがまた楽しいのです」
洗練された紳士となり再び店に出入りした際、店側、あるいはホステスの側から、声をかけられる男になれるかどうかがポイントだという。
「そんなお客様なら、これはもう仕事抜きで、男性としてお客様を見る娘(ホステス)がいても不思議ではないですよね」
聞けば聞くほど、お客に優しい夜の世界。そんな夜の世界の粋を弁えず、幾度となく窘められたにもかかわらず、ホステスと店に迷惑をかけた結果――それが香川照之事件だったのかもしれない。
歌舞伎とは「傾奇者(かぶきもの)」から来ているといわれる。“常軌を逸脱した行動に走る者”という意味だ。
40代で歌舞伎界デビューした香川照之だが、身をもって「かぶきもの」としての生きざまを広く大勢の人にみせてくれたといったところか。
続々とCM、テレビ番組などの降板が伝えられるなか、歌舞伎の興業を手掛ける松竹芸能社だけは、今後も香川照之を起用し続けるという。だが、今や市民のモラルは高い。この判断が吉と出るか凶と出るか。大勢の市民が見守っている。
(取材・文=秋山謙一郎/経済ジャーナリスト)