大地震の直後でも接待ゴルフに興じる巨大新聞社社長~不倫暴露で追放できるか?
業界最大手の大都新聞社の深井宣光は、特別背任事件をスクープ、報道協会賞を受賞したが、堕落しきった経営陣から“追い出し部屋”ならぬ“座敷牢”に左遷され、飼い殺し状態のまま定年を迎えた。今は嘱託として、日本報道協会傘下の日本ジャーナリズム研究所(ジャナ研)で平凡な日常を送っていた。そこへ匿名の封書が届いた。ジャーナリズムの危機的な現状に対し、ジャーナリストとしての再起を促す手紙だった。そして同じ封書が、もう一人の首席研究員、吉須晃人にも届いていた。その直後、新聞業界のドン太郎丸嘉一から2人は呼び出され、大都、日亜両新聞社の社長を追放する算段を打ち明けられる。しかし、その計画を実行に移す直前に東日本大震災が起こった。震災から2カ月を経て、太郎丸が計画再開に向けて動き出した。
「それなら、少し聞いてもいいですか」
太郎丸嘉一が頷くのを見て、深井宣光は改まった調子で切り出した。
「会長は大地震の日、どうしたんですか。僕との電話を切って国民(新聞社)にすっ飛んで行く感じでしたけど…」
太郎丸はよくぞ聞いてくれたという表情でにんまりした。
「当然じゃろ。80歳のわしが体験しちょらん大地震じゃ。老体に鞭打ちよって、本社に駆けつけよったんじゃ」
「やっぱりそうだったんですか。それは大変でしたね」
「社長室に陣取りよってな、社長(三杯守泰)、主筆(真田憲三)と三人で、陣頭指揮しよったんじゃ。赤字になっても構わんけん、カネに糸目をつけずに取材体制を強化せい、とかはっぱをかけたりしよってな。あの日は泊まり込みじゃったぞ」
「夜になって、福島原発の事故が大変だ、とわかってきましたしね」
「青森、岩手、宮城、福島の被災4県へ派遣しよる応援部隊を編成し直したりのう、大わらわじゃったわな。それに、わしは被災四県の地方紙も全面支援せにゃいかん、と社長に命じよってな、夜のうちにすぐに支援しよる態勢をつくりおったぞ」
「陣頭指揮したのは1日だけですか」
「そりゃ、泊まり込んだのは1日だけじゃったが、3月いっぱいはジャナ研会長室には行かんじゃったな。連日、本社の社長室か主筆室に居ったわ」
「会長、そういうの、年寄の冷や水、っていうんですよ。多分、社長や主筆はともかく、下はありがた迷惑だったですよ、多分ね」
太郎丸と深井のやりとりを聞いていた吉須晃人が皮肉っぽい調子で茶々を入れた。
「吉須さん、そこまで言わなくてもいいじゃないですか。ジャーナリストの血が騒いだんでしょうから。それがまともな新聞社ですよ。うちや日亜に比べれば、月と鼈(すっぽん)です」