長銀買収立役者の1人、コリンズ氏は保有株を売却して新生銀行を去った。一方、フラワーズ氏は発足当初から新生銀行の社外取締役となり、報酬や人事を決める委員会のメンバーとして経営を牛耳ってきた。新生銀行はフラワーズ氏の銀行だったのである。
●有終の美を飾れなかった八城
経済界の表舞台に戻ってきた八城は、新生銀行を普通銀行に転換させた上で、個人を主な取引先とするリテールに大きく経営のカジを切り、株式の再上場を果たした。
「新生銀行の経営再生は、八城政基社長の手腕によるところが大きい」
全国紙や経済雑誌は、このように八城の手腕を高く評価した。だが、冷静に考えてみれば、8兆円の公的資金(=税金)を注入して不良債権を一掃すれば、たいていの銀行は再生できる。
八城は株式再上場の使命を終えて引退するはずだったが、後継者選びにことごとく失敗した。仕方なく会長兼社長に復帰したものの、09年3月期1430億円、10年同期1401億円の巨額赤字を連続で計上して引責辞任に追い込まれた。
10年5月14日の退任会見で八城は「投資銀行業に傾斜しすぎたのは経営上のミステイク」といった趣旨の弁を述べた。投資銀行業務と消費者金融などのノンバンクの強化に軸足を移した結果、多額の損失を出してしまった。それにもかかわらず複数の外国人役員に1億円以上の報酬を支払うなど、経営トップとしてのガバナンスの欠陥が厳しく問われた。八城はバンカー人生の有終の美を飾れなかった。
●国境を超えたリーダー育成の提言
八城は、プロ経営者の光と影を映し出していた。過去30年にわたって石油会社に勤めていた人物が銀行のトップになった。日本国内では異例ともいえる人事だが、八城は「会社のトップに立ってマネジメントすることに関して、業界の違いは何もない」と断言した。
八城は13年10月28日付朝日新聞記事『証言そのとき』において、次のように「国境を超えたリーダー(の育成)」を提言している。
「これまでの経験を通していえることは、国籍にこだわる企業は、成長を続けることが難しい。かつていたシティバンクは、約20年前でも、幹部の6割近くは米国以外から登用していました。(略)私が『外資流』で育てられたように、日本企業は進出先の海外で、国籍を超えてリーダーを育て、どんどん登用するべきです。それが世界市場で活躍する、グローバル企業へと脱皮する近道なのです」
世界最大の石油会社、エクソンモービルでは、35歳ごろまでは特定分野を担当し、専門知識を身につける。その後、世界中から50人程度の経営幹部を絞り込み、新しい分野を任せてゼネラルマネージャーを育てていく。八城は新生銀行でもこの方式を採用しようとしたが、年功序列や終身雇用を前提としていた当時の日本では抵抗が強く失敗した。
(文=編集部)