「平成10(1998)年9月。八城政基は、全日空のファーストクラス『1-A』シートに身を沈め、ニューヨークから成田に向かう機中の人となっていた。(略)フライトも残り1時間となった時、ふいに八城の隣の『1-C』に座る白人男性が話しかけてきた。親子ほどに歳の離れたこの白人男性が、米国の投資ファンド『リップルウッド・ホールディングス』代表のティモシー・コリンズだった」(「文藝春秋」<文藝春秋/2005年4月号>記事『新生銀行会長 八城政基は勝ったのか』<菊池雅志>)
1年半後の2000年3月、日本長期信用銀行が国有化後にリップルウッドや外国銀行らから成る投資組合「ニューLTCBパートナーズ」に売却され、長銀は新生銀行となり八城氏がその社長に就いた。長銀を買収したティモシー・コリンズ氏に、日米両国の経済事情に通じているプロ経営者としてスカウトされたのだ。それまでにエッソ石油社長、シティバンク在日代表を歴任した八城氏は銀行のトップに転身した。
●日本政府を手玉に取ったハゲタカファンド
リップルウッドは、ティモシー・コリンズ氏がゴールドマン・サックス(GS)出身のクリストファー・フラワーズ氏と共同で設立した投資ファンドだが、実態はGSの別働隊といわれていた。日本政府のアドバイザーを務めたGSが長銀の売却先に推薦したのが、直前までGSの共同経営者だったフラワーズ氏が設立したリップルウッドだった。リップルウッドの社外取締役には、GS出身でクリントン政権時代の米財務長官、ロバート・ルービン氏がいた。
長銀の破綻処理には8兆円という破格の公的資金が投入された。ニューLTCBパートナーズへの売却に際して、悪名を轟かせたのが瑕疵担保条項だった。新生銀行が引き継いだ債権が、3年以内に8割以下に下落したら国に買い取り請求できるという内容で、極めてニューLTCBパートナーズ側に有利な条件だ。しかも日本政府が損失を補填してくれるのである。短期間のうちに不良債権を一掃するために、新生銀行は積極的に瑕疵担保条項を活用した。その結果、ライフ、そごう、第一ホテル、エルカクエイなど長銀をメインバンクにしていた企業が破綻に追い込まれた。それによりリップルウッドは政府とともに社会的非難を浴び、屍肉をむさぼる“ハゲタカファンド”の代名詞的存在となった。
GS人脈の投資家にとって、長銀はまたとないおいしい獲物だった。投資家グループは10億円で長銀の株式を取得し、誕生した新生銀行に1200億円を出資した。
04年2月19日に新生銀行が東証一部に再上場した際、投資家グループは所有する株式を2300億円で売却した。1210億円の投資で、1000億円以上の利益を得た計算になる。投資ファンドの正体を知らず、マネーゲームの実態にも無知な日本政府を手玉に取ってハゲタカファンドが大金をせしめたかたちだ。