巨大新聞社を揺るがす株事情、マスコミは見て見ぬふり…
社員やOBで買い取ることができれば問題はない。しかし、社主の保有株をすべて買い取れば1000億円以上になるのが確実で、その道は事実上閉ざされていた。早世子が健在なうちに、経営陣と協調する安定株主に保有株式を売ってもらう必要があったのだ。しかし、最近の経営陣は皆早世子より年下で、相手にしてもらうことすら容易ではなかった。
●社主はおしまい
大都は日本を代表するクオリティペーパーと自認しているだけに、経営陣から末端の記者まで、プライドが高く、インテリ然としている。そんな中にあって、相談役の烏山凱忠(よしただ)、社長の松野の2人は例外的な存在だった。スノッブ(俗物)根性丸出しで、インテリ臭がまったくなかった。実際、2人とも知性のかけらもないのだから、当然なのだが、それが社主との対応では幸いした。早世子はインテリ臭の強いエリート面をする男が大嫌いで、面会することすら難しかったからだ。
烏山の場合は人間性はもちろんのこと、顔つきからして下卑たところがあった。これも早世子が毛嫌いする男の範ちゅうで、相手にされなかった。しかし、松野は人当たりがよく、明るい性格なうえ、外見だけは紳士然とした風があり、気に入られる素地があった。社長に就任して赤坂の自宅に挨拶に出向くと、すんなり早世子に会うことができた。「社主には会えない」というのが定説だっただけに、単純な松野は有頂天になり、4半期に1度社業報告と称し、自宅を訪問するようになった。早世子邸に何度か足を運ぶうちに、恐る恐る株式の問題を持ち出すと、早世子が待ってましたとばかりにこう言い放った。
「ようやく切り出したのね。わかっているわよ。社主は私でおしまいにするつもり。大都が混乱することがないようにします。その代わり、末永く日本一の新聞であり続けるようにしてください。株をどうするかは、あなた方で案をつくって持ってらっしゃい」
予想だにしなかった発言で、松野は早世子にひれ伏すように畏まり、社に戻った。だが、松野はもちろん、その側近たちも気をもんでいただけで、アイデアはまったくなかった。そればかりか、社内には具体案をつくれるような人材はすでにいなかった。結局、コンサルタント会社に具体案を策定してもらうことになった。そして、社主が保有株800万株のうち500万株を手放して、その持ち株比率を25%に引き下げる案が固まり、早世子も了承した。
しかし、500万株を手放すといっても、引受先は経営陣を支持する「安定株主」でなければならない。それは松野の仕事だった。引受先と購入価格が決まり、実行されたのが3年前だった。そんな事情を考えれば、松野が激昂するのも無理からぬところがあった。
●人たらし
4人姉弟の末っ子だった村尾は、怒った相手を宥めるのが得意だった。上の3人は全員姉で、物心ついた頃から女の理不尽な怒りにさらされた。どうすれば嵐を収められるか、身をもって学んだのだ。それが女をたらし込む術に長けることになった理由で、村尾は年齢に関係なく、目を付けた女は必ずモノにしてきた。その術は男に対しても有効だった。
「わかりました。私が悪かったです。でも、僕は知らないんです。勘弁してください。『合併で合意』でいいんです」
困り果てた顔をした村尾は座椅子の座布団を外し、平身低頭した。すると、松野もばつの悪そうな顔になり、声もトーンダウンした。
「まあ、いい。でも、うちが社主の株問題でずっと苦労しているのは知っていただろう」
「ええ、薄々知っていますけど、週刊誌報道を読んでいるくらいで、細かなことは知りませんでした。てっきり片付いた問題とばかり思っていました。本当に許して下さい」
村尾はまた畳におでこを擦りつけるようにして謝った。
「村尾君。ちゃんと座り直せ」
●マスコミの「よき伝統」
松野は中腰になって両手の掌を差し出し、天井に向けて振った。そして、続けた。
「うちの業界はお互い、見て見ぬふりをするのが慣行だ。痴漢や暴行などの破廉恥罪だって、記事にしない美風があった業界だ。最近はそれを世間が許さなくなって、破廉恥罪絡みの記事は載せざるを得ない。『よき伝統』が失われると、いろいろ困るんだけどな」
「本当にそうですよね。困ったもんです」
「でもな、破廉恥罪をやった奴を復権させても、週刊誌なども大目に見てくれて記事にはしない。それが救いだな。うちの株問題のような経営に関わる案件も新聞が報道しないから、週刊誌が断片的な報道をするだけだ。まあ、君がよく知らないのも仕方ないか。だがな、これからは合併するんだから、ちゃんと知っておいてもらわないと困るぞ」
「わかっています。よろしくご指導のほど、お願いします」
「君な。俺だから、社主の持ち株を25%に減らすことができたんだぞ。それで、今度の合併話も始められる環境が整った」
「それはわかっています。もう勘弁してください。お願いしますよ」
「ふむ。社主との話は今度ゆっくり話すさ。合併するんだからな。日亜の社長がうちと社主との関係がどうなのか、詳しく知らないんじゃ、困るからね」
「社主との関係は今度でいいですけど、株式の保有状況はちゃんと教えてください。それは今、知っておかないと…」
「わかったよ」
と言って、松野が説明を始めた。