この作戦では、違法な風俗店の摘発やヤクザの締め出し、スカウトやキャッチ行為の規制など、歌舞伎町の悪評を払拭するべく、さまざまな施策が取られた。また、昨今強化された危険ドラッグの取り締まりも追い風となり、街からは薬物を扱う店も次々と姿を消している。
このような傾向は新宿だけのことではなく、アジア全域で起きている。
アジアに広がる浄化の流れ
東南アジアを代表する風俗業界を有するタイでは、14年のクーデターによって軍部が政権を握ったことで、強烈な締め付けが始まっている。飲食店は慣習的に、深夜でも客がいる限り営業するような店が少なくなかったが、通報や摘発を恐れて深夜0時から1時頃には閉店するようになった。
ほかにも、店舗内で女性従業員がトップレスになることが禁止されるなど、ノリの良さが信条のエンターテインメント系の風俗店にとっては大きなダメージとなっている。
タイのほかにも、風俗店の摘発で注目を集めたのは、インドネシア第2の都市、スラバヤである。この街には、ドーリーと呼ばれる置屋街があった。置屋とは、女性を店内で選んでから連れ出すスタイルの古くからある風俗業態である。ドーリーの規模は2000軒ともいわれ、「東南アジア最大の色街」と呼ばれていたが、女性市長が就任した13年末に一斉摘発が行われた。
これにより置屋はすべて閉鎖され、結果として働いていた女性だけでなく従業員や置屋のまわりにあった食堂、ヘアサロン、ネイルサロン、洋品店などの周辺産業も打撃を受けた。単純に売春を肯定することはできないが、そこが一大産業となっていた場合に、浄化によって街が受けるダメージは計り知れない。
実際に、神奈川・横浜市黄金町にあった置屋街は、05年の通称「バイバイ作戦」によって警察に集中摘発されて全店舗が閉鎖され、売春行為は激減した。その後、アートを前面に押し出した街づくりが進められているが、目覚ましい成果は上がっていない。それどころか娼婦や客を目当てに出店していた飲食店が軒並み撤退したことで、街の活気はすっかりなくなってしまったという。
ドーリーでは、代替産業として仕立ての職業訓練所のような施設をつくったが、それひとつでは十分な雇用を生み出すことはできていないのが実情だ。
追い込まれる下層住民と破壊されるコミュニティ
アジアの中には、生活の基盤となる住みかそのものを浄化されてしまう人たちもいる。
フィリピンのスラム街は、巨大なゴミ山「スモーキーマウンテン」とセットで世界的に有名になったが、政府にとっては知られたくない暗部のひとつといえる。ゴミを再利用して暮らしていたスラムの住人たちを次々と郊外のニュータウンへ強制移住させた。ところが、ことは政府の思惑通りにはいかなかった。
新たに住みかを手に入れたはずの住人たちが、都会に戻ってきてしまったのだ。それは、いくら家があっても日々の生活費を稼ぐことができなければ暮らしていけないからだ。彼らは今も行政とのイタチごっこを続けている。
現在、発展著しいインドネシア・ジャカルタには、日本だけでなく世界中から投資マネーが流れ込んでいる。この街では、発展と同じタイミングで格差が表面化している。これまでは国全体が豊かでなかったために目立たなかった低収入の人々の住居が、街全体を再開発していくことで一気に顕在化したのだ。
それはスラムと呼ばれるエリアで、川沿いや線路沿い、橋の下や公園などに広がっている。もともとスラムは、公共の場所を不法占拠して居住している状態ではあるが、立ち退きを迫るために行政側が取る方法は、かなり乱暴だ。
ある日、突然行政の担当者と解体業者がやってきて、建物を片っ端から破壊した。住居を失った住民たちは立ち去ったり、同じ場所に簡易的な小屋を作って暮らしている。ある程度の住民がいれば反対運動もできるだろうが、数が減り、家もない状態では効果的な活動など望めない。
このようにして強引につくり出した更地に何を建てるのか。それは大規模なマンションやオフィスビル、ショッピングモールなどの巨大な箱物だ。投資マネーが集まるジャカルタでは、投資対象となる物件が次々と建てられている。ジャカルタに暮らす日本人商社マンは、「毎週、毎月のように青山や六本木がつくられている感じがしますね」と語る。
だが、このような投資対象となった箱物は、必ずしも有益な産物とはなっていない。というのも、海外の投資家は、直接自分が住む家を買うわけではなく、また会社を設立するわけでもない。そのため、一等地の新築物件にもかかわらず、空き部屋や空きフロア、空きテナント店舗が目立つのだ。
前出の商社マンも、「私の住んでいるマンションでは、住人よりも管理する職員のほうが多いかもしれません」と皮肉交じりに語る。
利益のためにコミュニティを破壊して、利用者の少ない箱物を次々とつくる。この流れは日本が近年体験してきたことである。ショッピングモールの進出により商店街が潰れる憂き目に遭い、歌舞伎町浄化作戦をはじめとする行政の改革が街の活気を失わせる。一度壊れてしまったコミュニティは、簡単には再生できない。それは現在を生きる私たちに突き刺さるものだ。
行政の掲げる浄化は本当に必要なものなのか。浄化すべき地に暮らす人々と、違法性を払拭しつつ共存する道はないのか。5年後に東京オリンピックを控えた今、我々は新たな道を模索する時期に来ているのではないだろうか。
(取材・文=丸山佑介/ジャーナリスト)