翻訳が進むパピルス文書
その存在は知られていても、内容の解読が待たれる古文書は数多く存在する。例えば、デンマークのコペンハーゲン大学には80年におよんでコレクションされている古代エジプトのパピルス文書があるが、その大部分はまだ翻訳されていない。それらに何が記されているのか、日々少しずつ明らかとなってきている。
現在、研究チームが翻訳に取り組んでいるパピルスは、およそ3500年前のもので、当時の医学、植物学、天文学、占星術や科学に関することが記されているという。当時の科学は占星術と深く結びついていて、同大学のカールスバーグ・パピルス・コレクションの長で、エジプト学者のキム・ティーホルト博士は、「現在では、占星術は疑似科学とみなされていますが、当時はまさに科学の中心的存在で、未来を予測する重要なツールでした」と述べている。例えば、国王が戦争に出る日を決める際には、天体が特別な配置になるような縁起の悪い日を避けることに役立ったという。
だが、翻訳中のパピルスに多く記されているのは医療に関することで、科学的なものである。古代エジプトの医学には目を見張るものがあり、例えば、紀元前3000年頃には口腔内の外科手術が始まっている。虫歯を削ったり抜歯を行うなどの治療法が詳細に記されたパピルスも存在する。
また、当時のエジプト人は口腔内の衛生を気遣っており、紀元前3500年頃から歯ブラシが使用されていた。歯磨き粉も利用されていて、原料は乾燥させたアイリスの花、塩、コショウ、ミントであった。興味深いことに、近年、研究者らはアイリスが歯周病対策に有効な薬になり得ることを発見している。
さらに、紀元前1500年頃のパピルスによると、古代エジプト人は植物性及び動物性の脂肪にアルカリ塩を加えて石鹸のようなものをつくっていた。それは、洗浄だけでなく、皮膚病の治療に利用されていた。
古代エジプトのユニークな医療
さて、コペンハーゲン大学にコレクションされているパピルス文書においても、最近、発見があった。その一つは、古代エジプト人は腎臓の存在を認識していたことである。これまで古代エジプト人には腎臓の存在は知られていなかったとみなす研究者も珍しくなかったため、この発見は研究者らに見直しを迫るものとなった。
現代人からすると、信じがたい治療薬も記されていた。
例えば、逆さまつ毛の治療に利用されたものは、牛脂、コウモリの血、ロバの血、トカゲの心臓、細かい粒子からなる陶器、少量のハチミツだったという。
なぜこれらが選ばれたのか、本当に効能があったのか、現時点ではまったく不明である。だが、細かい粒子からなる陶器が選ばれた理由については、解毒目的と推測される。というのも、動物がミネラル補給や解毒目的で粒子の細かい粘土を食することはよく知られており、同様な習慣を持つ人々も存在するからである。衛生面を考えて、粘土を炒ってから食する人々もいる。当時の陶器には主に素焼き粘土が使われていたため、粉砕した陶器が薬として食されてもそれほど不思議ではないだろう。粘土が有する吸着性が感染症対策になった可能性があるのである。
また、妊娠検査も興味深い方法で行われていたことが明らかとなっている。被験者女性は、大麦が入った袋と小麦が入った袋の双方に毎日尿をかけ、どちらが先に発芽するかを知ることで子供の性別を見分けられ、いずれの袋からも発芽が見られない場合には妊娠していないと判断できたというのである。
この妊娠検査法はアフリカ大陸を超えて広がり、のちのギリシャ・ローマの文献でも言及されるようになっている。中世においては、中東の医学文書にも登場し、1699年のドイツの民話集の中でも言及されている。そのため、今回、最古の資料が発見されたことになる。
残念ながら、大麦と小麦が発芽に必要とする条件の差に関して筆者には知識がないが、実のところ、現代科学において、妊娠していない女性の尿は麦の成長を抑えることが確認されているのだ。
今後、翻訳がさらに進めば、このような治療法や検査法といった有益な情報が次々と明らかとなっていくことだろう。単なる迷信もあれば、一考を要する記述も見つかるだろう。その判定には科学的検証と時間を要するだろうが、世紀の大発見となるようなことが、未発見の遺跡の中ではなく、長年保管されてきたパピルス文書の中から発見されるかもしれないと考えると、実に興味深いことである。
(文=水守啓/サイエンスライター)