ベートーヴェンの卓越したビジネスセンス
ベートーヴェンは、作曲家としての時代には恵まれたとはいえません。当時の作曲家にとっては、王宮に勤めるどころか活動すら困難な時代で、後年伝えられているように、「ベートーヴェンは、王侯貴族に頼らなかった最初の作曲家」というのは、彼自身が望んだというよりも、時代がそうさせたのだともいえます。ベートーヴェンの少し後に生まれた作曲家シューベルトなどは、貧困に喘ぎ、生涯で書き上げた8つの交響曲のどれひとつも公開で演奏する機会がなかったくらいです。
そんなベートーヴェンとシューベルトとの大きな違いは、ビジネスセンスです。演奏会を自分で開催し、収入を得る大胆なイベント企画能力。複数の楽譜出版社と交渉し、一番有利な契約をする粘り強い交渉力。そして、有力なパトロンに作品を献呈したりしながら、大きな援助を得るしたたかな集金力。たとえば、ベートーヴェンは『第九』をプロイセン(ドイツ)王に献呈していますが、その際にもらった300グルテンの指輪が成果でした。当時の宮廷音楽家の月給が60グルテンだったことを考えると、5カ月分の生計を得たことになります。このような当時の貨幣価値を知れば、彼が遺産として1万グルテンを残したことがどれほどすごいか、よくわかります。
しかし、彼の本当に偉大なところは、お金儲けのために自分の音楽スタイルを変えることは一切なかったという点です。たとえば、スコットランドの出版社トムソンから、スコットランドやアイルランドの民謡180曲の編曲を、1曲につき6グルテン、合計約1000グルテンで請け負った際も、編曲であったとしても決して手を抜くことなく、素晴らしいできばえの楽譜を後世に残しています。そして、経済的な報酬を得ただけでなく、ベートーヴェンが、遠い英国の音楽を知る機会となりました。テレビドラマ『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)で有名になった『交響曲第7番』は彼の名作中の名作ですが、特に、第1楽章と最終楽章の音楽はアイルランド民謡の影響を強く受けており、全9曲のベートーヴェンの交響曲のなかで異彩を放っています。
ちなみに、『交響曲第7番』は、オーケストラ編成がコンパクトなので、楽員数はそれほど必要とされず、したがって人件費が押さえられるので、ビジネス的にもコストを抑えることができる作品です。『のだめカンタービレ』での大ヒットは、日本のオーケストラにとっては、ありがたい話だったのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)