かつては女性を褒め称える時に使われた「良妻賢母」も、共働きが当たり前になり、「イクメン(育児に積極的な男性)」なる言葉が生み出された現代では、時代に即さない表現となりつつある。
日本女性といえば、伝統的に「控えめであるべき」「おしとやかであるべき」「家庭を守るべき」という観念があった。しかし、そもそも日本女性は古来、貞淑でおとなしく、夫に従順な存在だったのだろうか。
「良妻賢母」は、女性に求められる、あるいは女性が目指すべき理想像を端的に示した言葉であり、日本伝統の女性観ともいえる。しかし、この思想は明治時代中期に生み出され、昭和の第二次世界大戦前にかけて、じっくり浸透していったものだ。つまり、せいぜい1世紀あまりという、比較的浅い歴史しかない。
明治中期、貞淑に家庭を守る女性は「新時代を象徴する女性像」といわれた。中世から江戸時代にかけて、女性は少なくとも「働き手」としてカウントされる存在で、決して「家事専門」だったわけではない。時代劇でも、居酒屋などは今でいうホール業務を女性が務めているし、農村でも女性は何かしらの役割を与えられている。
明治になると、近代化によって夫婦観や家族観が一変する。なかでも大きかったのは、「男女には分担すべき役割がある」という考え方が広まったことだ。そして、「家庭を守る」という役目に特化した女性像が誕生する。家庭をしっかり守り、夫を陰日なたになって支える。そのために「貞淑」「控えめ」といった美徳が生み出され、喧伝されていったのだ。
もともと、こうした女性を必要としたのは上流階級だ。夫が高給取りであれば共働きの必要はないからであり、近代的な職務に邁進する夫に対して、「家庭を守る妻」というイメージが、プロパガンダ的に広められた。
いつの時代も、庶民はセレブの生活に憧れるものだ。ただでさえ、国家主導で「良妻賢母が一番」という考え方が入り込んでくる時代、「良妻賢母が女性のかがみ」という美意識は全国に拡大していく。
雑誌が煽った「良妻賢母」
ここで重要な存在を担ったのは、当時、新メディアの雄だった雑誌だ。婦人向け雑誌が続々と創刊され、一様に特集などで「良妻賢母になるために」といった記事を掲載した。
そこでは、世間の理想とされる華族夫人、つまりセレブ女性の生活ぶりが細かく紹介され、「それを手本にしなさい」と書かれていた。
世間全体が「良妻賢母」を賛美するようになると、誰もが「内助の功」に拍手喝采するようになる。結婚して家庭に入った女性は、それだけで「ワンランク上」と見なされた。
ところで、貞淑な妻というと、「夫が帰宅した時に、玄関で三つ指をついてお出迎え」というイメージも強い。しかし、この作法も、実はもともと「はしたない」とされてきたものだ。
それも道理で、女性としては社会的に一段低いポジションとされていた、吉原の遊女たちが使う作法だったからである。彼女たちは、豪奢な着物を身にまとい、着物のイメージに合わせて大型のかつらをかぶっていた。それは、重量感たっぷりで行動の自由を奪うほどのものだ。
頭が重くなっているため、普通に首をかしげてあいさつしようものなら、おでこを床に激しく打ちつけてしまう。そこで考案されたのが、少しは自由がきく両腕を指先までピンと伸ばして床につけ、ゆったりと上半身を前傾させるスタイルだ。これが、「三つ指をついてお出迎え」の起源なのである。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)