フランス・パリで起きたシャルリ・エブド襲撃事件や、イスラム過激派組織「ISIS」による日本人拘束事件など、今年はこれまでになく「イスラム世界」や「イスラム教」への関心が集まっている。
もちろん、多くの人は過激思想に基づいて行動するこうしたイスラム教徒が、「一般的なイスラム教徒」とはかけ離れた特殊な人々だということは多くの人はわかっているはずで、その証左にこれらの事件の後も、日本では目立ったイスラムバッシングは起きていない。
しかし、だからといって私たちがイスラム教について理解しているかといえば、決してそうとは言えないだろう。よほど関心を持っている人でなければ「コーラン」「断食」「毎日礼拝をする」といった断片的なワードからしか知らないのが現実かもしれない。そして、これらのワードから「信仰に縛られ、不自由な生き方を強いられた人々」というイメージを持っている人もいるだろう。
■イスラムにおける「一夫多妻」の実情
たとえば、実態が伝わらないままイメージが一人歩きしてしまっているワードが、イスラムにおける「一夫多妻」だ。
言葉だけを見ると、どうしても「既婚男性の浮気が公認されている」、あるいは「男尊女卑」といった印象を受けやすいが、イスラム教徒たちは一夫多妻をどのように考えているのだろうか。
『日本の中でイスラム教を信じる』(佐藤兼永/著、文藝春秋/刊)は、多様な背景を持って日本で暮らすイスラム教徒たちの姿を通して「本当のイスラム教」に迫る。そこに登場するあるイスラム教徒は、ほとんどのイスラム教徒にとって、一夫多妻制は自分の生活とは直接関係のない「他人事」だとしている。その理由の一つはイスラムの結婚における「責任」だ。
「コーラン」で示されている一夫多妻は、要約すると「4人までの妻帯を認めるが、妻たちを平等に扱えないのではないかと心配するのなら、1人にしておきなさい」というものだ。平等とはもちろん「扶養面」も指すわけで、これはこの制度のそもそもの成り立ちが「戦争によって夫を失った未亡人の救済」だったことによる。
しかし、現代で普通に生活する男性が複数の妻に平等に扶助するということがいかに難しいかということは、日本人である私たちでも想像がつくところである。しかも、イスラムの結婚とは「妻の扶養義務を夫に課す」ものであり、結婚するからには養うのが前提なので、そもそものハードルが高い。
つまり、前述のイスラム教徒が一夫多妻を「他人事」だというのは、「正しく実践できる人はほとんどいない」ということの裏返しだといえるだろう。
■「一夫多妻」は男尊女卑か?
また、この制度についてまわる「男尊女卑」「女性差別」のイメージにも、日本のイスラム教徒たちは疑問を呈している。
一夫多妻制が「王様がハーレムを作る」的なものではなく、社会的な救済の性質を持つ以上、自分の夫が2人目の妻をつくることに対して、最初の妻は拒否する権利があり、無断で二人目と結婚されたのなら、離婚する選択肢も認めらだ。