3年前、この記事の筆者の父はがんを宣告されました。それまで健康であった父が突如がんになり、2年後にはおそらく死ぬ。その現実を私は当時まったく受けとめられず、がん摘出手術の当日になっても現実感がありませんでした。手術の結果、奇跡的に父は一命を取りとめ、今は完治して元気に過ごしています。
しかし、この3年間に多くの父の友人たちが亡くなりました。病院のベッドに横たわる父を見舞いにきていた彼らは、がん患者である父に慰めの言葉をかけた1、2年後に自分ががんで亡くなるとは思いもしなかったはずです。
私たちは突然この世界から姿を消します。「死」は特別なものではなく、何の前触れもなく訪れます。
『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと』(中山裕次郎/著、幻冬舎/刊)は、多くの患者の死を見てきた外科医である著者が、死を通して人生について語った本です。
人はその瞬間に何を後悔するのか
私たちは自分の人生を考える時、40歳までには○○をして、50歳になったら△△をやり、60歳で定年になったら夢だった□□をしようという風に考えます。しかし、現実には40歳どころか、30代で亡くなる人もいます。本書の中には30代で大腸がんになり、奥さんと1歳の赤ちゃんを残してそのまま死んでいった患者の話が登場します。「娘はどうなっちゃうんだろう」「なんで俺がこの病気にかかったのかな。俺じゃなきゃだめだったのかな」と嘆いていたこの方は、おそらく多くの後悔と不安を抱きながら亡くなったのでしょう。
多くの人が、死の間際に「やり残したこと」を後悔するといいます。まだ準備ができていないから、時期尚早だから、周りの目が気になるから、こういった理由で本当は自分がやりたかったこと、夢だったことをやれないまま、ある日突然死の予告をされるというケースは珍しくありません。一つも後悔のないまま死を迎えるのは難しいかもしれませんが、やりたいことを先延ばしにしているうちに、死があなたを迎えにくるのです。
死を想うことは、自分の本音と向き合うこと
死が身近なものであると書いてきましたが、私たちは死にどうやって向き合えばよいのでしょうか? 著者の中山さんは、「あと10年で自分が死ぬとしたら?あと半年で死ぬとしたら?今の生活、今の仕事のままでいいのだろうか?」と自問自答をするうちに、死を想うことは自分の中の本音を引き出す行為なのだと気づきます。
自分がやりたいことや、自分の夢が分からないまま生きているという人は多いかもしれませんが、もし自分が10年後、5年後、1年後に死ぬとしたらどうするか?を考えることで、自分が本当に大事にしていることややりたいことが見つかるかもしれません。ドイツの哲学者であるカール・ヤスパースも、人間は自分の生命が脅かされるほどの「限界状況」に置かれて初めて、自分の心の底の本音を知るのだといいます。
死は恐ろしいものですが、同時に生きている自分の心からの本音を探りだすきっかけにもなります。誰にも等しく、突然訪れる死という終わりについて考えることで、これからの人生で成し遂げたいことが見えてくるかもしれません。本書は200ページほどの新書で、数時間もあれば読めてしまいますが、書かれている内容は文字通り「死ぬまで」心に残るものとなっています。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。