現役外科医で、シリーズ45万部を突破した人気シリーズ『泣くな研修医』(幻冬舎)の作者、中山祐次郎氏がこのほど、新たな医療小説『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)を上梓した。実際にロボット手術を行っている外科医が書く、ロボット手術シーンのある小説は「おそらく世界初」。現役の外科医で、確かな筆力を持つ小説家にしか書けない、息詰まる「手術文学」が生まれた背景を聞いた。
手術中の外科医の感覚をどう伝えるか
――本作は2人の中堅外科医が主人公で、息詰まる手術シーンの連続です。
中山祐次郎氏(以下、中山) 医療小説の中でも「手術文学」になるかもと自分では自負していますが、これ以上の描写は無理かなと思うぐらいには書き込んだ自信はあります。温度やにおい、色彩が入り混じるのが手術なので、それをいかに文章だけで伝えるかが工夫したところです。
腹腔鏡下手術のトラブルで開腹手術に移行するシーンがありますが、たとえば「腹が開いている」と言っても、一般の読者に文章だけでどんな状況かをイメージしてもらうのは難しいですよね。教科書のように「骨盤は漏斗が逆さまになった形で……」と書いてもおもしろくない。必要な情報を伝えつつ、小説としておもしろく読んでもらえるようなギリギリを書いたつもりです。
手術のペース、時間経過にあわせて、外科医の感覚がどう変わっていくかも読者に一緒に感じてもらえるようにしました。文章の長さや改行、漢字のバランス、頭の中の考えと実際の会話などを組み合わせて、手術室のテンポと文章のリズムを同期させて、一緒に腹の中で血管を縫っているかのように感じてもらえるように挑戦しました。手術シーンは現役の外科医の先生からも好評のようで、うまく書けたと思っています。苦しかったけど楽しかったですね。
――最先端のロボット手術も出てきます。
中山 医師になって16年目ですが、外科医になった頃は開腹手術から腹腔鏡下手術に移行する時期で両方の修行をして、現在はロボット手術が広まっている段階です。僕は大腸を専門とする消化器外科で、大腸のロボット手術はまさにこれから広まっていくところで、同世代の中でもかなり多く手がけている方だと思います。ロボット手術のシーンがある小説も徐々に出てきていますが、ロボット手術を実際にしている外科医が書いたロボット手術のシーンがある小説は、ほぼ間違いなく世界で初めてでしょう(笑)。
――小説では「国会議員のロボット手術中に訪れた危機」が描かれます。同様の“危機”は実際に体験されたのでしょうか。
中山 実際に自分が経験したままではないですけど、あってもおかしくはないです。小説で起きた事態はあってはいけないトラブルですし、現場では気をつけていますが、ロボット手術は世間の人が思うほど夢の治療法ではないですよ、という警鐘の意味合いもちょっとあります。これからどんどん一般化していって、技術的にも進歩していくとは思いますが。
――ちなみに、主人公は腕利きの外科医ですが、そうでない外科医も登場します。やはり、手術の上手い下手はあるのでしょうか。
中山 いい質問、ありがとうございます。これもなかなか言いづらいところではありますが、手術はまだそこまで標準化されていなくて、どうしても上手い下手があります。手術を受けるなら、上手な外科医にしてもらうのがいいとは思います。では、どうやってそういう医師を見つけるのかということですが、基本的には手術件数の多い、いわゆるハイボリュームセンターに行くのは確度の高い方法でしょう。ただ、その中でもあまり上手くない人もいるので、何とも難しい問題ですね。
――腹腔鏡手術がメインになっていて、若手外科医は開腹手術の経験が乏しく、トラブル対応には慣れていないという意見もありますが、実際はいかがでしょうか。
中山 実際、若手が困っている場面もありますが、それも過渡期的な問題で、いずれトラブル対応も腹腔鏡下やロボット支援下で開腹と同じぐらいのレベルになると思います。今だって開腹よりロボットの方が出血箇所をすぐに特定して、処置できることもあります。開腹手術の経験が少ない外科医が多くなっても、僕は心配しないでいいと思っています。
外科医が激務の後に“痛飲”せざるを得ない理由
――同年代の中堅外科医がタッグを組んで活躍する、いわゆる“バディ物”です。
中山 手術は医師1人ではできないですが、同じぐらいの実力の医者が2人入って治療にあたることは、実はほとんどないのです。15年目以上の医師と7、8 年目の医師、加えて教育目的も兼ねて1、2年目の研修医の3人ぐらいが、よくある手術チームです。
実力のある中堅外科医が2人いるとチームとして最強になると思うのですが、ほとんどすべての日本の病院では外科医は足りていないですし、実際にはそこまでの必要もないので、バディを組むのはある種のファンタジーに近いところがあります。
ただ、難しい手術だとそういう状況もありますし、僕にも1人だけ、心から信頼し合いたい、命を預け合いたいと思える外科医がいました。タッグを組めばなんでもできると感じていましたが、お互い成長途中でまだ若かったからか、うまくいきませんでした。個人的に叶わなかった想いも小説に反映されています。
――英文タイトルが「Surgeons at the Bar」とありますが、仕事後に飲みに行くシーンも印象的です。なぜ激務の後にも飲みに行くのでしょうか。
中山 コロナにもなってしまったので最近はまずないですけど、以前は仕事終わりによく飲み行っていました。まさに“痛飲”という感じでした。飲まざるを得ない精神状況というか、命を扱うストレスや、手術で集中力を一気に高めた後の反動で、アルコールの力を借りてでもネジをちゃんと緩めないと精神が切れてしまうと感じていました。
タイトルは「俺たちは神じゃない」で、編集者さんが作中のセリフからつけてくれましたが、身寄りがなくて、意識不明で救命可能性が低い高齢者の手術をすべきかを、医師がその場で判断しなくてはならないこともあります。神じゃないのは当たり前ですけど、時にそれに近い判断をしなくてはならない。そんな時は、なおさらバーで語ることが必要でしたね。
――2015年に『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと 若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日』(幻冬舎)で書籍デビューされ、「Yahoo!ニュース個人」などでも医療情報の発信をされています。近年は『泣くな研修医』シリーズも含めて、小説に軸足を移されているのはなぜでしょうか。
中山 自分の中では小説にシフトしているという意識はあまりないですが、医療現場で何が起きているか、医療者の本音みたいなものを伝えようとすると、フィクションの方がより伝えやすいということがあるかもしれません。
この物語は僕にとってはごくごく平常の毎日の出来事で、無理にドラマチックな話を書いたわけではないです。日記のように、ありのままに、正直に書こうとしました。それがどんなに過酷で、素晴らしいかを描きたかったです。
ただ、啓発的な動機よりは、単純に小説を書くのがおもしろいというのが一番大きいですね。創作の楽しみは他には代えがたいです。書いている間は本当に苦しいですけど。小説を書くのはおもしろいので、恋愛小説や歴史もの、SFなんかもやってみたい気持ちもあります。新しいシリーズが始まったばかりで、外科医としても忙しいですし、編集者さんからはいつ書くんだ、と言われそうですが。
『俺たちは神じゃない』 40万部突破『泣くな研修医』シリーズ著者、最新作! 確かな腕と絶妙なコンビネーション。麻布中央病院が誇る、中堅外科医コンビ。だが、国会議員のロボット手術中に、絶体絶命の事態が?!