メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』やギリシアの『天地創造』など、世界各地には古くから語り継がれてきた様々な神話がある。日本最古の歴史書といわれている『古事記』もその一種といえる。
ただ、そもそも「神話」とは何なのかという定義は曖昧だ。『世界の神話』(沖田瑞穂著、岩波書店刊)によると、神話とは「聖なる物語である(であった)」であり、人々の間で語られ、そして聞かれていたある話について、それが「聖なるもの」と捉えられていたら、その話は「神話」である、ということができる。
■ヨーロッパの果てに残る「浦島太郎」に似た神話とは
たとえば「ケルト神話」というものがある。
ケルト人は、現在のアイルランド人、スコットランド人、ウェールズ人、フランスのブルターニュ地方のブルトン人などの祖先に当たる人々。かつてはヨーロッパ大陸でも勢力をふるっていたが、次第に他民族に圧迫されてヨーロッパの西へ西へと追いやられてしまう。さらにキリスト教化されたので、ケルト神話が比較的多く残っているのは、アイルランドとイギリスのグレートブリテン島西南部のウェールズ地方となっている。
このケルトの神話の一つ、「フィアナ神話」が、日本の浦島太郎とよく似ているのをご存じだろうか。筋書はこうだ。
主役のオシーンとフィアナの騎士たちが森で狩りをしていると、突然西のほうから白い馬に乗った乙女が現れる。常若の国の王の娘、金髪のニアヴと名乗り、オシーンを常若の国へ誘う。
そこでは何日も素晴らしい祝宴が続き、オシーンは3年間常若の国で過ごす。父や友人に会いたくなったオシーンは、そのことをニアヴに話すと「決して白馬から降りないで下さい。あなたの足が土に触れたら、もう二度と私のところへは帰れないのです」と告げられる。オシーンは決して馬から降りないと約束し、常若の国をあとにするが、途中で両足を地面につけてしまう。その途端、目はかすみ、若さは消え、全身から力が抜け、しわくちゃの老人になってしまうのだった。
異界へ行ってわずかな時を過ごして帰ってみると、数十年、数百年の時が過ぎ去っていた、という話を、神話学では「ウラシマ効果モチーフ」とよばれている。ちなみに中国にも「異界訪問-腐っていた斧の柄『水経注』」という、よく似た神話がある。
本書を読むと、世界の神話には全く別の地域のものにもかかわらず、内容がよく似ているものが多いと気づく。本書では、その理由について4つの要素を上げている。
1つ目は、一方から地方に神話が伝わる伝播によるもの。
2つ目は、インド=ヨーロッパ語族の場合。インドやギリシア、北欧のゲルマン、ケルトなどは、みな同じ言語の「家族」だ。インドからヨーロッパにかけて分布する言語の家族であり、元々は1つの社会を営み、同じ神話を持っていたがのちの分散。しかし分散した後も、共通の神話を受け継いできた。
3つ目は、人間の同一心理に由来するから。これは時代と場所を問わず、人々の心のありように共通点があるということである。
4つ目は、同じような自然現象などが似た神話を生み出すことがあるから。
世界各地の神話を深掘りしていくと、新たな気づきもあるはず。本書をきっかけに世界の神話を楽しんでみてはどうだろう。世界各地の神話が含む類似と相違に思いを馳せることは、昔から連綿と続く人間の営みと、共通の感情に思いを馳せることなのだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。