サッカー日本代表に学ぶ、イヤな上司を虜にして自らトップの座に就く術!
キャプテンが手にした二つの真剣刀
そんなラモスが中核だった90年代前半の日本代表チームでのこと。オフト監督の基本重視で各ポジションの役割に忠実さを求めた消極的な戦術に、ラモスが素直に従わず、オフトも困り果てていた。それを見るに見かねて、当時の柱谷主将(現水戸ホーリーホック監督)が、ラモスに詰め寄ったのだ。
「選手が、オフトの話をもっと理解して、彼のやりたいサッカーを具現してやるほかないのではないか? そのことが良いか悪いかは、この大会の結果を見て決めればいい」
それでもラモスは監督批判をやめなかった。そこで柱谷主将は、「ラモスさん、これまで通りチームの輪に入ってくれないのなら、やめてもらいたい」とまで言ったのだ。キャプテンがなかなかここまでいえないと思うから、おそらくオフト監督と示し合わせていたはずだ。
その結果、ラモスの姿勢は一変し、チームがひとつになり、日本は92年のアジアカップで初優勝を遂げることとなったのである。柱谷主将がラモス選手に「やめるか改めるか」という刀を抜いたとき、もう1本の真剣刀をもっていた。それは、オフト監督に対するものだ。先に述べたように「それで結果が出なかったら、当然監督は解任されるべきだ」というものだ。
上司を「よいしょ」して提案を受け入れさせる手があるけれど、それも無理という場合は、選手のせいにできないほど忠実に方針を履行することによって、責任を取ってもらうという手が残されている。オフト氏の例でいうと、93年、ロスタイムでイラクに追いつかれ、ワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」で彼は監督の座を追われた。A君は私の話を聞くと、吹っ切れたような顔つきとなった。
嫌な上司を虜にして、なんと自分が社長に!
漏れ伝えに聞いたところによると、その後A君は、拡販や仕入れなどに関する営業戦略については、積極的にB社長に意見を具申したが、最終的にB社長が決定したことには忠実に従ったようだ。また、取引先からの信頼はB社長よりも当然A君のほうが強かったが、それをひけらかさず、会社の売り上げアップに黙々と貢献して、A君なしにB社長はやっていけないことを悟らせたのだろう。
加えて、会社に対するクレームはA君が一身に引き受けるなどし、結果、B社長の心を虜にしたことで、後任にA君を推薦したのだと思う。
最初に相談を受けてから2年ほどたち、A君が報告にやってきた。彼の商社に親会社の経営監査が入り、”意見を具申しながらも、社長を支えた”A君の見識と姿勢が評価された。また、「悪漢」社長の推薦も得て、A君はその会社で初めて生えぬき社長になったというのである。
A君:「あのときあのまま反抗していたら、今の僕はありません」
私:「B社長は貴重な反面教師になったのでは?」
A君:「いえいえ、今となれば学ぶこともありました」
私:「ほう、君もずいぶん成長したものだ」
そんな会話が交わされて、A君は引き締まった表情で帰っていった。
どうしようもない上司が来ても、ムダな抵抗はしないほうがよい。しかし、魂まで売ってはいけない。意見は堂々と言う。しかし、決まったことには誰よりも忠実に従う。上司の心を虜にする。結果が出なければ責任を取るのは上司だ。上司が解任されても、栄転になってもよい。金と天下は必ず回る。
(文=大西 宏/コンサルタント ビジネス作家)
●大西宏(おおにし・ひろし)
パナソニック元営業所長、元販売会社代表。同社サッカー部長時代はガンバ大阪発足の陣頭指揮を執り、釜本邦茂監督を招聘した。退職後は関西外国語大学教授などを歴任し、現在、キャリアカウンセラー、産業カウンセラーとして企業や現役ビジネスパーソンのサポートを行っている。