学長就任の打診、大学からの意外な要望
–大学からも、教授就任の打診があったのではないでしょうか。
鈴木 いくつかの私立大学から、学長就任の話がありました。学長になって何をすればいいのかを尋ねたところ、どの大学の答えも、ほぼ3つでした。一番目は、教授同士を交流させること。同じ大学でも、教授同士は交流がないんですってね。
二番目は、教授と学生を交流させること。そして、三番目は知名度を生かして受験生を集めることです。放送局で培った専門知識を求めてくるのならわかりますが、どの大学もそうではありませんでした。
また、放送局の職員から大学教授になっても、週に何度か講義する程度で、同じ教授でも、研究実績を積み重ねて就任された方とは違います。
–知名度の活用を選択されなかったのですね。
鈴木 テレビや出版を通して、私に無断でつくられた「鈴木健二という名の虚像」が世の中に広まり、私を憂鬱にさせたのです。昨今は、若い男女が「有名になりたい」という動機でテレビに出たがっているようですが、虚名は自分を苦しめるだけですよ。本物の知名度とは、しっかりとした仕事を成し遂げて世の中に広まっていく名声のことです。
—NHKにとっては、定年まで勤めていただけてよかったのではないでしょうか。
鈴木 私は定年退職の当日まで働きましたからね。退職日の夕方まで働きました。
–有給休暇を取らなかった?
鈴木 NHKには、有給休暇を消化できなかった場合、1日あたりいくらと金額を決めて買い取ってもらえる制度がありました。ところが、私が退職する前にいつのまにか廃止されてしまったのです。私は頭に来て文句を言いましたけど……。
NHKには、十分に貢献したと思っています。例えば、営業部門から頼まれて、受信料を納めていただくために各地で開かれる住民説明会でよく話をしましたが、1年間に73回も話したこともあります。視聴者はお客様です。私の実家は東京・下町の商家で、子供の頃から両親の行動を見続けてきたので、お客様に頭を下げるという感覚が身についています。
NHKで初の仕事もいくつかやりました。そのひとつが日本共産党の取材で、巣鴨プリズンを訪ねて志賀義雄(元衆議院議員)や徳田球一(同)を取材しました。
–現在の鈴木さんは、どんな日常を過ごされていますか。
鈴木 何もしていません。年金生活のフリーターです。原稿執筆をしたりして過ごしていますが、これも定年退職前に住宅ローンを払い終え、75歳まで働いたからです。
–これからも、お元気で過ごされることを願っています。本日はありがとうございました。
(構成=小野貴史/経済ジャーナリスト)