今月10日までに発表された、日本企業の4~6月期(第一四半期)決算、それに基づく日本経済新聞社の集計(※1)によると、日本国内における経常減益企業数が全体の58%に達したことが分かった。
この数値は、リーマンショックの影響が残っていた2009年7~9月期(62%)以来の高水準なものだという。
■35歳で起業。設立2年目には売上20億円
リーマンショックには多くの業界が打撃を受けたが、なかでも不動産業界の痛手は大きなものだった。2008年から2009年にかけ、不動産会社の倒産件数は例年の1.5倍程度にまで増加したのだ(※2)。
『不動産業は、究極のサービス業』(ダイヤモンド社刊)の著者、長原英司さんが立ち上げた不動産会社、リード・リアルエステートもまたそんな一社である。
ちなみに、長原さんは元々プロのミュージシャンを目指していたが、27歳で上京し、不動産会社に就職。さらにもう一社で不動産の経験を積み35歳で創業した。
■リーマンショックに伴う銀行の貸し渋りによって経営が悪化
リード・リアルエステートは設立2年目に売上24億円を計上し、その後も順調に成長を遂げた。
同社が設立された2003年頃は、国内の金融機関がどこも不動産への融資に積極的だったことも幸いした。
しかし2008年、リーマンショックを境に銀行の態度が急変。それまでに築いていた金融機関との蜜月関係は終わった。
以降、銀行の担当者が連日同社に押しかけては、長原さんに「この物件、どうやって売りますか? 今、どうなっていますか?」と迫り、貸付も渋るようになっていった。 こうして新規の資金調達の道を断たれた同社の経営状態は、急速に悪化していく。気づけば、大量の在庫と総額約50億円の借金だけが手元に残っていた。
■「いつ潰れてもおかしくなかった」状態を乗り切れた理由
ここでいう在庫とは、取得したものの、まだ開発に着手していない土地のことだ。借り入れができず、手元の資金も不足していれば、在庫を「商品」へと変えていくことができない。
銀行の返済期限が刻々と迫るなか、在庫を大幅に値下げして売却し、手にした現金をコツコツと借金返済に充てることで、同社は何とかこの難局を乗り切ることに成功し、2014年に借金を完済した。
冒頭でも書いたように、この時期に倒産した同業他社は多かった。にもかかわらず、同社は生き残ることができた。なぜか?
この点については本書で明言が避けられているが、同社が「魔法の一手」を追いかけることなく、「本業だけに専念し、誠実に対応していったこと」が大きかったのではないかと考えられる。
長原さんはこのことがきっかけで、無借金経営の重要性を痛感したとも述べている。会社が潰れるか生き残るか、そのギリギリの状態から「生還」した筆者の言葉に耳を傾けることで、企業経営の本質について気づきをもらえるだろう。
(新刊JP編集部)
※1…2016年8月6日までに決算発表を終えた1055社が対象
※2…商工リサーチ調べ。この時期の倒産件数は600件にのぼった
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。