直木賞作家・佐藤愛子氏。現在92歳、もうすぐ93歳となる彼女の人生は、「波乱万丈」という言葉をそのまま当てはめられるほどの道である。
そんな佐藤氏の本が、今、話題を呼んでいる。
1923年大阪で生まれた佐藤氏は、1950年に「青い果実」で文壇デビューするわけだが、私生活はまさに波乱そのものであった。
戦争まっただ中の1943年に最初の夫と結婚し、1944年には長男が生まれる。夫は1946年に復員するも、戦争中に患った病気の治療で使ったモルヒネの中毒症状に悩まされ、別居暮らしとなってしまう。
デビュー翌年の1951年に最初の夫が死去。1956年に再婚した二番目の夫は会社経営に乗り出す。ところが1967年にその会社が倒産し、多額の借金を背負う羽目になってしまう。
その頃にはすでに著作を出版し、芥川賞候補にもなっていた佐藤氏はがむしゃらに働き、借金返済のために小説を執筆していたという。その体験を描いた『戦いすんで日が暮れて』で1969年に直木賞を受賞した。
92歳・佐藤愛子がこれまでつづってきた言葉たち
幻冬舎新書から出されている『人間の煩悩』(幻冬舎刊)はそんな佐藤氏の過去の小説やエッセイから「これはいい」という文章を抜粋し、「人間」「人生」「男女」など6つのテーマに分類して紹介した一冊である。
ここでは、「人間とは」の章から印象深い言葉を紹介しよう。
「人間も死んだらゴミだ」
佐藤氏の「珍友」だった作家の中山あい子氏は、自分をよく見せようという意識が全くない女にしては珍しい自然児だったという。
その彼女の持論が「人間死んだらゴミだ」というもの。
ゴミになるのだから仰々しい葬式などする必要はない。そこいらに捨ててもらってもいいが、人に迷惑をかけるから献体をすると言っていた。
そこで、「献体はいいけど、ホルマリンの槽に裸にされてほかの屍体と一緒にプカプカ浮いてるというじゃないの」と、佐藤氏がおどすと、「いいんだよ、どうせゴミなんだから」と中山氏はノホホンとしていたという。
「人間関係は最初が肝心」
最初に気取って良い面ばかり見せると、後で苦労する。だから。常にありのままに正直に自分を見せるやり方で、佐藤氏は生きてきたのだという。
はっきりとした物言いから「男性評論家」と呼ばれた時期のある佐藤氏ならではの考え方である。
「人の値うちは物の捨て方に現れる」
道端に無残な格好でうち捨てられた机や椅子を見ると、佐藤氏はそれを捨てた人の心のあらあらしさに目を伏せずにはいられないという。
それらは、過去の日常生活において友であった物であり、写真のアルバムと同じように、机の傷やフライパンの穴にも、思い出があるもの。捨てるにしても、捨て方というものがある。人間の値うちとは、物の捨て方に現れるものだと佐藤氏は言うのだ。