クラシックコンサートのチケット、“半券”はなんのためにある?意外に重要な役割が…
新型コロナウイルス感染拡大の影響で自粛してきたオーケストラも活動を再開し、日本の音楽界も少しずつ活気を取り戻してきています。もちろん、感染防止には細心の注意を払っており、たとえば、通常のようにチケットの半券をスタッフが切り取るのではなく、観客が自分で切り取って半券を箱に入れていただく形式になっています。また、これまでは手渡しをしていたプログラムも観客が直接取るシステムになっており、あくまでも接触をさける対策です。
ところで、このチケットの半券は、なんのためにあるのかご存じでしょうか。以前は、主催者はこの半券を税務調査のために取っておかなくてはならなかったそうです。半券にはチケットの値段が書いてあるので、これを枚数と掛け合わせることにより、その日のコンサートの収益がわかる仕組みだったのです。さすがに最近では、そういうことはなくなったそうですが、それでも今もなお半券には重要な役割があります。
「篠崎マエストロ、今日は1453名の入場がありましたよ」。そんな嬉しい知らせを演奏会直後に聞くことができるのは、半券のおかげです。あらかじめチケットを購入していたにもかかわらず急用で来られなくなった観客や、開演ギリギリに当日券を買って観客席に飛び込まれるお客さんもいますし、関係者を無料で招待した場合など、招待チケットを300枚配っても100名くらいしか来られないこともあります。そのため、販売チケットと招待チケットの総数を把握していても、それが実際の入場者数とはなりません。
一方、半券は確実に来場者のチケットから切り取られているので、こんなコンピューター全盛の時代であっても、スタッフが1枚1枚半券を数えるのが一番正確で、かつ簡単に来場者数を把握できる方法なのです。ちなみに、現在では税務調査の資料にならなくなった半券は、数え終えた後、そのままホールで破棄されるとのことです。
ウィーンで起きた“事件”
チケットの半券について話を戻しますが、海外ではほとんど見かけたことがありません。海外のコンサートでは、座席番号を書かれてあるチケットを見せるだけで入場できるのですが、それを悪用する人間もいたのです。
とはいえ、ほとんどのコンサートは指定席なので、同じ座席番号のチケットは2枚存在することがなく、偽造チケットをつくって一儲けするようなことはできません。それでも、僕がウィーンに留学していたころ、ある事件が話題になりました。
オーストリアの首都ウィーンは、モーツァルトの頃から啓蒙主義が盛んな街でした。啓蒙主義は、どんな人間でも知識を得ることで啓かれるという平等主義なので、一般市民にもさまざまな機会が与えられていました。王侯貴族や富裕市民だけでなく、一般市民に対しても劇場やコンサートホールは開かれており、その伝統が今でも続いています。
ウィーン国立歌劇場を例にとると、1709席のうち400円程度で聴くことができる「立ち見席」が、なんと567席もあります。これは、ほかの国では考えられませんし、そもそも立見席などない劇場がほとんどです。もしあっても、イタリアのミラノスカラ座のようにステージが見えにくかったりするのですが、ウィーン国立歌劇場は3万円程度の最上席はともかく、一般席より立ち見のほうがよく舞台を見渡せることもあるのです。
安い立見席を一般市民に開放するのは、1870年完成のウィーン楽友協会大ホールでも同じです。ブラームスやマーラーも指揮をしていた、この絢爛豪華なホールの1階席の後方には、立ち見用の場所があります。ところが、最前列を取らなければ、ステージがまったく見えないのが玉にきずで、開場前から並び、ドアが開くと同時に大急ぎで場所取りをするわけです。
僕もたびたび、この立見席でコンサートを聴きました。早くから並び、いよいよドアが開く直前、係の人がやってきて立見席のチケットを回収していきました。そんなことは他の会場ではないのですが、さらに不思議なことに、なぜかチケットを返してくれないのです。僕も留学したてのころで、そんなものなのかと思っていたのですが、場所を取ったあとでトイレなどに行ってしまうと、違うスタッフに「チケットを見せろ」と呼び止められて、ひと悶着になることもしばしばあり、なんだか変だと思い始めていました。
何度かそんなことがあったある日、同門の指揮科学生の友人が真相を話してくれました。実は、僕たちからチケットを回収したスタッフは、そのチケットをホールの前で売って小遣い稼ぎをしていたそうです。最初のうちはホールも目をつぶっていたけれど、やりすぎてしまい、さすがに処分されたとのことでした。立ち見チケットには座席指定がなく、立ち見の場所も単なる平土間なので何人入ってもわからず、そんな悪事の抜け道があったのです。
チケット売り切れの演奏会であっても、スタッフにこっそりとお金を渡して椅子を持って来てもらい、何食わぬ顔をして聴いている人がいたりしました。当時のウィーンは“音楽の都”であることに変わりありませんが、その裏では、まだまだ19世紀の小説のような話がたくさんありました。欧米はチップの習慣があるため、スタッフも、その恩恵にあずかる人々も、袖の下に対してそれほど罪悪感を持っていなかったのかもしれません。
(文=篠崎靖男/指揮者)