クラシックオーケストラが抱えるジレンマ…良い音を奏でる多くの楽器は動物が原材料
日本を代表する楽器に三味線があります。日本のギターともいえる三味線。歌でも、尺八のような楽器でも、語りでも、何にでも伴奏できる便利な楽器です。そんな万能性から、「三味線を弾く」という言葉には、適当に人の話に調子を合わせてごまかしたり、適当なことを言って相手を惑わすような表現として使われたりするようです。
もちろん、適当に演奏できる楽器ではありません。ソロで弾いても素晴らしく、日本を代表する楽器のひとつです。僕も三味線を聴いていると、「やはり日本の楽器も良いなあ」と感じます。
この三味線ですが、楽器に猫の皮が必要という点が現在の動物愛護時代では、イメージとしては損をしているといえます。キズひとつない子猫の皮がよいという話もあり、少しかわいそうに思ってしまいますが、今は犬の皮が多く使われているそうです。猫の皮が高価なこともあり、稽古用ではむしろ犬の皮の三味線が一般的です。
また、猫の皮は繊細で、かつ抜けの良い音が出るので、高級な細棹三味線や地唄用の中棹三味線に使われ、犬の皮は分厚い音が鳴るので、太棹三味線に使われます。たとえば、激しい音楽が特徴の津軽の太棹三味線は犬皮だそうで、決して値段だけの違いではなく、あくまでも音質の違いで使い分けられています。
ちなみに、素人が見分ける方法のひとつは、犬は背中の皮を使うのに対して、猫は腹の皮を使うので、うっすらと乳首の跡があるという点を見ることです。
今では猫も犬も、ほとんど海外からの輸入皮に頼っていますが、現在、動物愛護の流れで犬や猫も保護対象となり、海外からも入手困難で、三味線業界としても大きな問題となっていると報じられています。代用品として、人工の合成皮もありますが、やはり動物の皮の音にはかなわないようで、最近ではオーストラリアのカンガルーの皮が使えないかと検討されています。犬猫はダメで、カンガルーならいいのか、と突っ込みたくなりますが、僕も自宅で犬を飼っているだけに複雑な気持ちになります。
動物が材料に使われている多数の楽器
実は、オーケストラで使用する楽器も、かなり動物にお世話になっています。たとえば、ティンパニや大太鼓のような打楽器に張られているのは牛皮や羊皮です。最近では、化学樹脂が一般的になっていますが、その理由は、まずは手入れが簡単なこと。そして、日本のように湿度の変化が大きいと、動物の皮はまともに影響を受けてしまう一方、化学樹脂は湿度変化に強いという利便性による点が大きいようです。とはいえ、やはりプロの打楽器奏者にとっては、牛や羊のような動物の皮でなければ満足いく音色が出ないといいます。実際に、指揮者の僕もすぐに気がついてしまうくらい違うのです。
動物にお世話になっている楽器は、打楽器だけではありません。動物がいないと、弦楽器も困ってしまいます。まずは、弓に使われているのは馬のしっぽの毛です。ピンと張られた馬のしっぽの毛を弦にこすりつけて音を出すのですが、この弦も20世紀半ばくらいまでは羊の腸の筋をねじってつくられていました。現在では、より強い音を出すことができ、耐久性にも優れているスチール製や、最近ではナイロン製が主流ですが、それでも独特な柔らかい音を求めて、今もなお、羊の腸でできた弦を愛用している奏者も多くいます。
以前は、鍵盤が象牙製のグランドピアノもよくありました。もちろん、高額な特注品ですが、象牙の美しさだけでなく、指に触れた感じもよいのです。現在は、ワシントン条約により象牙の国際取引が禁止されているので輸入での入手は不可能ですが、今もなお魅力に感じる方々も多いと思います。
スコットランド名物のバグパイプも羊の毛皮を使っていますし、日本の三味線だけでなく、動物を楽器の材料にしているケースは結構あります。
考えてみれば、多くのオーケストラ楽器は生物でできており、オーボエやクラリネットのような木管楽器は植物である木でできています。弦楽器は動植物が混在しており、馬のしっぽの毛、羊の腸、木を材料にしたボディーから成っています。
ちなみに、動物に比べて、実は植物のほうが材料としては気難しいのです。たとえば、名器ストラディヴァリウスと同じ木の種類を使って楽器を製作したとしても、同じ音は出ません。
19世紀の有名なヴァイオリニストであるパガニーニは、「ストラディヴァリウスはナイチンゲール(サヨナキドリ)がとまって鳴く木しか使わなかった」と言っていたそうですが、これはほら話でしょう。現在でも、世界中のヴァイオリニストを魅了し続けているストラディヴァリウスですが、オークションの最高額は、2011年に落札された1721年製の名器「レディ・ブラント」で、約13億円です。
ヴァイオリンの弦や弓の毛は消耗品なので、製作当時の物ではありません。値打ちの部分は、ずばりボディーに使われている木です。その木が、鳴き声の美しいナイチンゲールがとまって鳴いた木かどうかはわかりませんが、2008年にオランダのライデン大学の研究グループが興味深い発表をしました。ストラディヴァリウスにCTスキャンをかけて断層撮影を調べてみると、木材の密度が驚くほど均一になっており、年輪による木目の幅の違いがほとんどなかったそうです。
実は、14世紀から19世紀末までヨーロッパで続いた寒冷な小氷河期だったそうで、特にストラディヴァリウスが制作されていた18世紀にピークを迎え、そのために夏と冬の寒暖差が少なくなり、楽器には最高の、木目が均等に詰まった木材を手に入れることができたのです。残念なことに、温暖化問題が報じられている現在では、どうやっても手に入らなくなっている素材なのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)