「社長」「経営者」といった肩書には、一般的に「裕福な暮らし」「華やかな交友関係」「大きな権力」など、とかく派手なイメージが付きまとう。
起業や経営を志す人は多いが、その何割かはビジネスそのものよりもこれらのイメージに代表される「社長」という肩書に憧れているところもあるのではないか。
高級な飲食店でぜいたく三昧、休日は会員制クラブでゴルフ、愛人は複数。
実際にこうした暮らしをしている経営者もいるはずだが、これは経営者の栄光を示すものだろうか? いや、むしろ経営者の「闇」の表れではないか?
いつかは自分も起業を、と考える人は知っておいたほうがいい。社長になるということは心に深い闇を抱えることだ。
■日本の経営者は会社をつぶすと全てを失う
『社長という病』(WAVE出版刊)の著者、富樫康明氏は、事業の成功と破たんという、経営者としての「天国と地獄」を味わった人物。一時は年間数十億円を稼ぎ、百人以上の社員を抱えるも、後にその成功は暗転。経営破たんの憂き目を味わった。その暗転の原因を、氏は「社長という病」と表現し、その病をどんな社長でもかかるとしている。
社長が病む要因、その最たるものは「金」だ。
ほとんどすべての会社は事業を運営するために借金をする。会社の借金といえば聞こえはいいが、これは本質的には経営者の借金。日本では、会社の借入金に対して「個人保証」を求められるからである。
万が一借り入れ金を返せなくなったら、経営者の預貯金はもちろん、土地や建物といった資産のすべてが差し押さえられ、文字通り「全てを失う」ことになる。この「個人保証」は日本特有の制度であり、これが経営者の復活を難しくしている。
一度失敗したら最後。金にまつわる重圧は、経営者に常に付きまとうのである。
■孤独に憑かれた時、経営者の転落は始まる
社長とは「真っ暗闇の中に一人ぼっちで漂っているようなもの」と富樫氏が言うように、先述の金の問題にせよ、他の問題にせよ、組織のトップの苦労を分かち合える人間は、組織の中には誰もいない。
「もし売上を確保できなかったら」
「もし仕事の受注がなくなったら」
こうした、まだ見ぬ未来への不安は、ビジネスがうまくいっていようがいまいが続く。経営者はこの不安と一人で戦うしかないのだ。
孤独にからめとられた経営者は物事に消極的になり、あらゆることに否定的になると富樫氏はいう。自分に対して否定的になり、そして従業員にも否定的になるのだ。こうして経営者は自分を見失いはじめる。
■自分に都合のいいことを信じ、都合の悪いことは認めない
物事に否定的になった人間の行きつく先は決まっている。人間不信であり、「信じられるのは自分だけ」という精神状態である。
こうなると自己中心的になるのも当然だ。ワンマン経営が悪いわけではないが、不信に基づいたワンマンは、自分の都合のいいことは信じ、都合の悪いことは認めないスタイルに陥りやすい。いつしか周囲の社員は本当のこと、正しいことを伝えなくなり「裸の王様」ができあがる。
経営者がこの状態になると、組織が辿るのは自滅の道だ。従業員の心が離れるからである。