ヤクザになる覚悟、カタギになる覚悟…人生の充実度とは「自分の限界を超えること」
今回も読者から寄せられた質問に答えたい。
「沖田さんは非常に引きしまった体をしていますが、ツイッターを見ていると、カロリー高めな食事の写真をよく掲載されています。あの食生活で、そのカラダ。どのようなトレーニングをしているのでしょうか。Twitterはほんの一端で、実際は食事面も相当気を使っているのでしょうか」
生まれてこの方、食生活に気を使ったこともなければ、ダイエットなどとは一切無縁の人生を送ってきた。生来、食というものに興味がなく、昔から、他人さまにごちそうになったときも「どんな良い肉を食べさせても、ファミレスの肉を食べているような顔しかしないー」と顰蹙を買うくらい無頓着だった。だが、ある時期から食の描写のために、考えながら食べるようになった。つまりは、小説を書くための勉強として食べることにしたのである。
それは、何も食に限ってのことだけではない。今でも、朝目覚め、夜眠りにつく瞬間まで、何をしていてもずっと小説のことを考えている。現在見ている風景を描写するならなんて言葉で綴ればいいだろうか。今発した言葉は、仮にこう言えば、もっとおもしろかったのではないだろうかなどと、常に脳内は小説づくりであふれかえっている。オレは小説家になるんだ!と夢見た20年前から、ずっと小説を書くためだけに脳内は稼働しているのだ。
実際、それがー夢を叶えるーということではないだろうか。そして、その世界で生き残り、メシを食うということではないかと思う。夢を叶えたいと本気で願うならば、人生のすべてを棒に振ってもいいくらいの気概が必要だと思っている。
私の生活を知る知人から「沖田さんはショートスリーパーですよね」と言われることがあるが、それはもちろん誤解だ。自分だってゆっくりと寝たいし、毎週決まった日に、仕事を忘れた休日を送りたい。だけど、自分にはそんな時間がないのである。
オレはオレの力で底辺から這いあがってきた。底辺へと突き進んだのも自分自身である。他人のせいでもなければ、すべては自分が選んで歩いてきた道なのだ。
そして、道半ばの自分に、休みなんて存在しないのはわかっている。逆にいえば、自分にとって、休みがある=仕事がないということになるのだ。だからこそ、寝る間を惜しんで、仕事が途切れないように働き続けるのである。それは常に仕事がなくなるのではないかという不安と隣り合わせだからだ。なにかを成し得ようとすれば、それくらい神経を働かせていないとバチが当たるのではないかと思えるものだ。
そして、それくらい神経を研ぎ澄まし、常に脳をフル稼働させていると、どうなるか。太らないのだ。脂肪をつける余裕すらないのである。もともと私は、自らの身体を鋼のごとく磨きあげていないと、いくら筆を研ぎ澄ませても意味がないと思っていたので、書くことと同じ情熱で筋トレを続けてきていた。二十代はほぼ、書くことと筋トレに捧げてきたといっても過言ではない。
特段、好きなことをやって生きてきたわけではないが、「好き勝手やってきた」と思われても仕方がない人生を送ってきたのも事実である。考えてみろ。ヤクザになるということは、それくらいの覚悟がなければできないのだ。
自分は、社会のゴミのように道を外れてしまい、たどり着いた場所がヤクザだった……というのではない。自ら選んだ道がヤクザだったのだ。カタギになる時もそうだ。はっきりいって、良い条件で他の組織からスカウトはいくつもあった。だけど、親は一代と決めていたし、その親分が引退した以上、どんな苦労をしようが、カタギになって、握りしめてきた拳でペンを持ち、世に出ると決意したのだ。
そこには自分自身の覚悟があった。性格みたいなものは、そう簡単に変えられない。カタギになっても、バカにされれば、相手が誰であれ、戦うつもりだった。ただメリハリは自分なりにちゃんとつけた。当然、ヤクザがやるようなシノギは一切しないと。カタギになる以上は、カタギとして汗をかき、小説家を目指す。ただ、それを邪魔されれば、誰にも遠慮はせず、立ち向かう。そう思いながらやってきたので、たった一度も邪魔をされたことはなく、気がつけばみんなが応援してくれていたのである。
もちろん道中には失ったものもある。だが、自分が、似たような境遇から夢を目指す人たちの道標になってみせられたという自負もある。それゆえ、今さら健康に気を使って長生きしたいなんてものはなく、いつ死んでも後悔はないなという心境には辿りついている。ただ、生きている限りは楽をしようとは思わない。だからこそ、書き続けているのだ。とにかくがむしゃらに生きていれば、太るとか痩せるとか、小さなことが気にならないのではないだろうか。
食生活にいくら気を配っていても、死ぬ時は歩いていても死ぬぞ。くらいの心持ちでやりたいことをやり、その分、仕事を何倍もやるほうが人生は充実するのではないだろうか。
人生の充実度とは、決して長さとは比例しない。いかに自分の限界を超えていくか。そこにあるのではないだろうか。
(文=沖田臥竜/作家)
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