バナナマン、おぎやはぎ、東京03など、多くの人気芸人と仕事をし、お笑いライブやドラマ脚本まで手掛けるなど、幅広い活躍をしているのが放送作家のオークラ氏だ。
そんなオークラ氏の初のエッセイが『自意識とコメディの日々』(オークラ著、太田出版刊)だ。
本書では、オークラ氏が見てきた芸人たちやお笑い界のこと、オークラ氏の芸人時代から放送作家となり、活躍し続ける今に至るまでを綴った自伝だ。
人気放送作家の人生を変えた転換点
オークラ氏は、放送作家になる前、オークラ劇場、細雪というコンビを組み、芸人として活動していた。その芸人時代にシティボーイズのライブビデオを見て衝撃を受ける。作り出されたコントの構成と世界観。シンプルだが美しい演出。コントとコントをつなぐオシャレな音楽。さまざまなカルチャーがコントを中心に結びつき、オークラ氏が知らないポップカルチャーがそこにはあった。
「シティボーイズのようなコントライブがやりたい」「カッコいいコントライブがやりたい」という思いから、「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」という目標を掲げる。
しかし、芸人としてなかなか売れることができず、スランプに陥っていたとき、所属していた人力舎の社長に「お前は芸人より作家が向いている」と言われる。このとき、すぐに芸人をやめるのではなく、「バナナマンと一緒にユニットライブがやりたい」という願望が浮かび上がる。そうすれば、芸人を続けながら、バナナマンのネタを書くという作家業もでき、一石二鳥と思ったのだ。
当時、東京で若手のお笑いライブシーンのビッグネームとなっていたバナナマン。面識はあったものの、たまにライブで顔を合わせるくらいの存在だった。
そこで、オークラ氏は「バナナマンすり寄り作戦」を決行する。バナナマンのイニシアティブをとっているのが設楽統だという情報を得ていたオークラ氏は、設楽さんに「YES」をもらったら確実だと考える。そこで、バナナマンが出演するライブ後に、設楽氏がシティボーイズライブを見ていることを知っていたオークラ氏は「シティボーイズとか見ると若手のライブ演出ってダサくないですか?」と話しかけた。これがすり寄り作戦のポイントで、「若手のコントライブはダサい→どうすれば格好良くなる?→俺の力があれば格好良くできる!」という論法ですり寄ろうとしたのだ。
さらに、オークラ氏は、将来自分でやるであろうコントライブに備え、当時、数十万円したパワーマックを借金して購入していた。実はまだ使いこなせてなかったが「パソコンを持っているからデザインができます」「なんなら映像も作れます」と熱弁し、数ヶ月後、バナナマンと一緒にユニットライブを行うことになる。
オークラ氏の「バナナマンすり寄り作戦」は成功し、1997年6月にバナナマン、長井秀和、オークラ、そしてラブタンというフリーの女優さんで『ピンクマニュアルズ』というユニットライブを開催し、大成功で幕を閉じる。
オークラ氏の夢である「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」の第一歩は、バナナマンとのユニットライブから始まったのだ。そして、今でもTBSラジオ『バナナマンのバナナムーンGOLD』で放送作家を担当し、バナナマンの単独ライブにも関わり、バナナマンとの親交も深く、オークラ氏は「第3のバナナマン」とも呼ばれている。
芸人から放送作家へと転身し、バナナマンや東京03、おぎやはぎ、バカリズム等と出会い、オークラ氏の下積み時代が綴られた本書。1990年代から今に至るお笑い界も垣間見ることができる。
「さまざまなカルチャーが融合するコントライブを作り上げる」という目標に向かい、邁進した自意識とコメディの日々を本書から楽しんではどうだろう。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。