1億円稼ぐ子どもの育て方…お受験で高偏差値の学校に行っても、将来役に立たない
経済学では需要と供給のバランスで価格が決まると教わり、就職でも売り手市場、買い手市場などといわれます。そのため「子育ての経済学」「教育の経済学」などといわれ、かけた教育費のリターンを意識する人もいるようです。
このとき親は、偏差値や進学先を意識して子に私立中学受験をさせる人もいます。産業界が「即戦力」を求めるため、学校側も即戦力人材を養うべきという圧力にさらされています。
しかし、それが本当に10代の多感な時期に必要な教育なのでしょうか。
即戦力とはすなわち実務で使えるスキルであり、スキルとはコンピュータでいうところのアプリケーションのようなものです。しかし、学校で習って明日からすぐに使えるスキルというのは、まさしく明日には陳腐化する可能性がありますし、短期間で身に付けられる能力は、たいていの人が追い付けます。そんな目先のスキルを瞬間的に養成されたとしても、そんな人はやはり短期間で使い物にならなくなるリスクにさらされるでしょう。
また、たとえば資格試験のように「この範囲を覚えれば合格する」という即効性の高い学習には、やはりその程度の価値しかありません。与えられた知識もスキルも、自分で試行錯誤して身に付けたものではないため、応用できる範囲には限界がある。というか、容易に体系化でき教材として与えられる程度のものでは、それだけでは発展性がありません。
だから自分の特徴を打ち出せず、集客できず、食べていけない弁護士や歯科医師が増えているというニュースにもなります。
自動車の運転免許はほとんどの人が3カ月程度で取得できますが、違法な運転をして事故を起こす人がいるように、心が伴わなければ幸せな人生にはならないでしょう。つまりマシンそのものやOSの性能が低ければ、その後にどんなアプリを搭載しても、うまく動作しないわけです。
しかし、たとえば視野の拡大、思考の深化、全人格的な能力が向上すれば、時代がどのように変化しても対応し十分に乗り越えていけるし、変化そのものを創り出す側に回ることさえできます。人間がほかの動物と違って親の庇護のもとにいる時間が長いのは、環境変化を乗り越えられる底力を、それこそ長い年月を使ってじっくりと培っているからだといわれることがあります。
そう考えれば、教育に求めるのはテストの点数やどこに進学したかということより、もっと根源的な思考力や精神力の獲得であり、必要とされるのはすぐに成果が出ない教育ではないのかという結論にたどり着きます。
そのひとつが教養です。
たとえば樹齢数百年の巨大な神木を目の前にしたとき、受験勉強だけをしていたら「この木は〇〇という種類で〇〇のような気候条件があったためここまで育った」としか出てこない。しかし教養が備わっていれば、その大木がタネから芽を出し、さまざまな風雪や病害虫に耐えて育ち、人々から敬われるようになったという時間や空間を超えた文脈、そして原風景までに思いを馳せられる感性や想像力が発揮されます。
そうした感受性や応用力を持てば、自らの力で人生の展開し、構築することができます。
もちろん、より文化的で心豊かな人生にもなるでしょう。
「どう学ぶか」が問われる時代
自分の子が社会に出て未知の問題や状況に直面したとき、それまで自分が学んできた知識やスキルをフル動員して統合・応用し、今まで使ったことのない方法を編み出して解決できるようにならなければなりません。
なぜなら、子どもが成人する頃には世の中がどうなっていて、どんなスキルや知識が要求されるようになっているかは、誰にもわからないからです。
しかし、複雑かつ前例のない問題を解決し価値を創造できる知的基盤があれば、どのような時代環境が来たとしても力強く生きていくことができます。たとえば多くの評論家は「AIが職を奪う」などと脅威論を語りますが、逆にAIを使いこなせる人間になれば、私たちの生活はもっと豊かになるでしょう。
その際、何を勉強してきたかよりも、「どう」学んできたかが試されます。もちろん、知識やスキルは問題解決の助けにはなりますが、環境が変われば使い物にならなくなることもある。それに、知識は必要に応じて適宜獲得することができます。なのに知識詰め込み一辺倒の学び方、テストで正答を出すだけの学び方しかしてこなかったら、得てきた知識やスキルを統合・応用し、未知の問題を解決する力は養われないでしょう。
本人が望むのならともかく、親や周囲がガリ勉させて得た進学実績など、人生全体で考えればほとんど価値はなく、ガリ勉しなくても進学できるような根本的な能力の獲得のほうが重要だと私は考えています。
特に東京大学のようなトップ校や欧米の一流校ほど、深く考え、複雑な文脈を理解し、知識を横断的に活用する思考力が問われます。そして海外の名門小中校の授業の進め方を調べてみると、自由に発想し、知的好奇心を持って課題を発見し、クリエイティブな方法で探求・解決し、それを実社会で表現・実現する経験を積ませています。
そうした高度な思考力だけでなく、学外での実績(起業や出版、世界的なコンテストなどへの出場経験)を持つスーパー高校生がしのぎを削っているのが欧米の名門校です。そのため、ハーバード大学やスタンフォード大学など名門校でのプロジェクトが、そのまま事業として立ち上がることがよくあるのです。
つまり、人がもともと持っているイノベイティブでクリエイティブな能力を引き出すには、自分が興味を持ったテーマに対し自ら問いを立て、文系・理系は関係なく、分野横断的なアプローチで探求する経験が必要です。
しかし、日本の公教育ではこのような姿勢は否定されます。問いを与えられ答えが存在しますから、疑問を持つとか、正解ではなく最適な打ち手を編み出すような経験を積むことができません。だからこそ、親は学校システムの限界を知り、その不足を家庭教育で補う必要があります。
(文=午堂登紀雄/米国公認会計士、エデュビジョン代表取締役)
【参考書籍】
『1億稼ぐ子どもの育て方』(主婦の友社)