セクハラによる著名人の告発や#MeToo運動の盛り上がりはビジネスシーンにも及び、優位な立場を利用したセクハラへの視線は厳しくなりつつある。組織として対策を打ち出す企業や団体も増えている。
セクハラも含めたハラスメントの厄介さとして、加害者に悪意がないケースが多い点が挙げられる。それは、加害者側が一方的に「恋愛だと勘違いしていた」ケースもあれば、本人からしたら日常的なコミュニケーションが、相手からしたらセクハラにしか思えないケースもある。
「悪意がないなら許される。または悪意があるセクハラより罪は軽くあるべきだ」と言いたいわけではない。私たちが普段何も考えずにやっている行動がセクハラにあたる可能性を誰もが考えなければならない時代になったということだ。
■セクハラを自覚しにくいワケ
「服装をホメただけでセクハラになるの?」
「何か言ったらセクハラ扱いされそうだから、何も話しかけられない」
などという声が聞こえてきそうだが、大なり小なり権力を持つ人は特に気をつけるべきだ。上司と部下、正社員と派遣社員、元請と下請、営業と顧客など立場の強弱や職務上の上下がある関係ほど、セクハラが入り込む隙間は大きい。
『ハラスメントの境界線-セクハラ・パワハラに戸惑う男たち』(中央公論新社刊)の著者である白河桃子氏は、セクハラについて「自分のパワーに無自覚な人は気をつけたほうがいい」としている。こういう人ほど、自分の言動を相手が「耐えるしかない」状態になっていることに気づきにくいからだ。
■セクハラかどうかの境界線「絶対アウト」なのは…
一方で、セクハラかどうかは受け手の感覚に委ねられる面が多いことも見逃せない。だからこそ、セクハラかどうかに明確な境界線を引くことは難しいのだが、一定のラインを引くことはできる。
本書では、「身体への接触はNG。正当な理由なく肩や手、髪に触るといった行為は基本的にセクハラにあたる」というのを「絶対アウトなライン」として提示している。もちろん、性的な冗談や下ネタを言ったりといったこともセクハラになりうるが、こちらは相手が不快に持っているかどうかや、嫌がっているにもかかわらず繰り返し言ったかどうかもかかわってくる。
身体への接触は、性的なニュアンスを含むものばかりではないため、無意識にセクハラととられかねない行動をとっている人は案外多いかもしれない。しかし、加害者に「下心」があったかどうかは関係なく、「とにかく触るのはダメ」と覚えておいたほうがいい。加害者に他意はなくとも、された側は性的な接触だと受け止めて不快に思っているかもしれないし、そのことを指摘できるとは限らない。
セクハラの土壌として様々な意味での上下関係がある以上、セクハラはパワハラとも不可分であり、それだけでなくすべてのハラスメントは深いところでつながっている。
今個人と組織が考えるべきハラスメントの問題。「めんどくさい」と思わずに、自分の言動を見直して、改めるべきは改めるというのが最善の態度だろう。『ハラスメントの境界線-セクハラ・パワハラに戸惑う男たち』はそのためのガイドになってくれるはずだ。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。