――ご自身はあきらめた道で弟さんが成功されるというのは、複雑な思いもあるのでは?
矢部 僕は芸人を辞めたことに後悔の念が残っていて、だから今があるんです。というのは、もしあのとき辞めずに続けていたらと思うけれど、それって答えの出ないこと。あのときもし続けていたら、まったく違う人生になっていたかもと思ってもね。そういう思いを二度としたくないので、どうせ後悔するのなら、思ったことを全部やってから後悔しようと。だから、今は思ったことは全部やっていますね。
――行動した結果、失敗してしまう場合もありますよね。そういったときは、どうすればよいのでしょうか?
矢部 行動を起こして失敗して後悔したとしても、得るものがある。「同じことをしないようにしよう」「やったからわかること」とか。失敗しても自分の責任だし、失敗は失敗として、そこで完結する。でもやらずしての後悔というのは、死ぬまで続くんですよね。それが嫌だという思いが強いんですね。その根本にあるのは、芸人という、社会に出てから初めて目指した夢を手放してしまったこと。せっかく見つけたやりたいことだったのに。もちろん、弟がいまテレビで活躍しているからというのも、若干はありますね。弟がサラリーマンだったら、そこまで思っていないかもしれません。
――それが、逆境に遭っても乗り越えていけるコツなのでしょうか?
矢部 僕には乗り越えたという意識はないんです。この先乗り越えたと認識するかどうかもわからない。乗り越えたと思った時点で満足してしまう、そうなると動けなくなってしまうから。やはり大事なのは動くことです。机上で考えているよりは、動いたほうが何かしら転がりますから。僕が過去にいろいろやってこれたのは、すべて動いた結果。正しいとか間違っているとかは別にして、動くということはしてきましたからね。
引きこもり、パチプロ、そして借金
――芸人を辞めてからの生活は?
矢部 22歳で芸人を辞めてから、いったんは引きこもりになってしまいました。そこからがんばれたのは親のおかげ。引きこもりの間、親は何も言わなかったんですよ。僕がずっと家にいるのに、普通に食事をつくって普通に会話して……「『自分の子は何してんねん』と思ってるやろ、なんか言うてくれよ」と思うわけですよ。それでおのずと動きだした。親としては一番苦しい選択をしたと思いますよ。子どもの気持ちというよりも、世間体を気にして、普通は小言のひとつも言いたくなるだろうに。感謝ですね。それで、とりあえずリハビリとしてまずは外に出ようと、23歳の時にパチプロになったんです。
――それから、ご自身も借金まみれになられたとか。
矢部 パチプロをやっていたのは、1年くらいですね。気がつけば消費者金融や街金への借金が、500万円近くになっていました。当時はケータイもポケベルもありませんでしたから、返済を迫る電話が家にかかってくる。迷惑をかけてしまうと「どこに行ったかわからんと言うてくれ」と言い残して、家を出て行方をくらましました。それからは昼夜働いて借金を返す生活。深夜に線路の枕木を換えるバイトなど、あらゆるバイトをやりましたね。5〜6年かけて借金を返済しましたが、あの頃が一番しんどかったですね。
――そんな生活に転機が訪れたのは?
矢部 芸人を辞めて33歳までバイトしかしたことがなかったんですが、友人に誘われてタレント事務所を開業することになりました。スタッフ2人で、ノウハウも何もないゼロから始めて、丸7年間1日も休まず働きました。それまでの反動でしょうね。何も誇れるものがなかったから、絶対成功させてやろうと。規模が急に大きくなったことへのプレッシャーや、ストレスからか眠れなくなったり判断力が鈍ったりと体を壊して、2年前に代表の座を辞したのですが、その頃には、東京本社と名古屋と大阪の事業部でスタッフが50名、タレントが20名、モデルが300名までになっていました。
『めちゃイケ』オーディションの真相
――40歳でタレント事務所の代表をお辞めになられて、その後は?
矢部 タレント事務所の代表を辞めてからは、とりあえず休もうと。それまで仕事のことを10考えていたのに、辞めたらやることが0になってしまい、何をしたらいいのかわからない。20代前半の引きこもりになった時と同じだけれど、人間的に成長もしているので「いずれ動くだろう、自分が欲するまではまぁええわ」と。そんな生活が1年近く続いて、そろそろヤバいなと思った頃に、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の新メンバーオーディションを知ったんです。弟がひとりでがんばっているし、番組のおもしろコンテンツのひとつになればと、弟にも番組スタッフにも事前に何も言わず、オーディションを受けることにしました。肩書は「無職」。ガチで受けましたよ、スタッフは驚いてましたけど。まぁ、そこそこウケました(笑)。